Monthly Archives: 6月 2016

デッドスペースの有効活用・・・「お面」のディスプレイには天井が最適

デッドスペースの有効活用・・・「お面」のディスプレイには天井が最適 コレクションをしていると、どのようにディスプレイするかと頭を悩ませます。 限られた展示スペースに、どうしたらカッコよく飾れるか?・・・・ 色々と試した結果、「お面」のディスプレイには天井が最適だと断言します。 壁面だと家具や電気製品などの隙間を見つけて飾る事になりますが、それ程スペースが確保出来る訳ではありませんし物がぶつかったりして壊してしまう危険性もあります。 その点、天井であれば無駄なスペースを最大限に活用して思いのほか沢山、ディスプレイする事が出来ます。 埃や煙草の煙、油、汚れなどを防ぐ為に透明ビニール袋に入れて押しピン(画ビョウ)で二ヶ所止めるだけで落ちてくる事はありません。 適度に強度があるので時間が経っても歪みが出たりする事はなく、天井自体に負担も掛けません。 現在、お店の天井に250枚ほど貼っていますが、スペースの関係で貼り切れない「お面」を、数えると現在500種類以上はあるでしょうか? 貴方の記憶の底に仕舞い込んだ「憧れのヒーロー・ヒロイン」達に会いに来ませんか・・・ いつの日にか全ての「お面」を一堂に公開できたらいいと思います。 500種類の「お面」がド~ンと並んだら壮観でしょうねぇ。 そこで、天井のお面の貼り換えに挑戦する事に・・・ 重複している「お面」を含めると4000枚程あると思いますので販売・交換・買い取りもしています。 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14202824.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

1960年代 仔犬を追いかける犬 「DOG CHASING PUPPY」は三国産業製

1960年代に作られたミクニ製の仔犬を追いかける犬の玩具「DOG CHASING PUPPY」です。 ディズニーの101匹ワンちゃんに登場する様なダルメシアンの親子犬の絵柄が可愛いですね。 この時代はパッケージが英語表記で、殆どがアメリカなどへ輸出されていました。 三国産業は、東京プレイシング商会(トープレ)で「ピエロのスケーター」をはじめとする数々のブリキ玩具の名作を作り出した天才ブリキ職人・串田恭男氏が立ち上げた玩具メーカーです。 串田氏は、新日工業→”T.P.S”こと東京プレイシング商会→ミクニ産業へと活躍の場を移していく。 戦後、日本が海外向けの玩具製作で復興していく時代からの職人さんで、進駐軍が古本屋に残した雑誌(POST誌のノーマンロックウェルの絵等)を参考にしたデザインや色遣い、複雑なメカニズムのゼンマイ玩具を海外の子供達の為に生み出し続けた。 その斬新な作品は、現在から見ても少しも色褪せることはない。 ゼンマイで動きます。 犬同士はブリキの細い板で繋がっており、ゼンマイを巻くとピョンピョン跳ねながら仔犬を追いかけます。 欠損しがちな布製の耳や、後ろの犬のゴム製の尻尾も付いており遊ばれた形跡がなく足の裏には当時?の値札シール170円も付いたままです。 オリジナルの箱も多少のダメージはありますが、凹み、破れ、潰れ、汚れ、褪色なく良好です。 昭和30年代 MADE IN JAPAN ミクニ産業製 本体サイズ:高さ9センチ×長さ19センチ×奥行き6センチ。 箱の大きさ:高さ7センチ×幅15.5センチ×奥行き6センチ。 更に、一部同じ金型を流用した犬の太鼓叩き「DOGGIE DRUMMER」です。 同じ時代、同じメーカー製です。 ゼンマイで体を上下に振って太鼓を叩きます。 欠損しがちな布製の耳や、後ろの犬のゴム製の尻尾も付いており遊ばれた形跡がなく足の裏には当時?の値札シール170円も付いたままです。 オリジナルの箱も多少のダメージはありますが、凹み、破れ、潰れ、汚れ、褪色なく良好です。 昭和30年代 MADE IN JAPAN ミクニ産業製 本体サイズ:高さ12センチ×長さ12センチ×奥行き5.6センチ。 箱の大きさ:高さ11センチ×幅12センチ×奥行き6センチ。 どちらも価格応談にて販売可(売り切れご免) http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14199656.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

1970年代ブルマァク「MAT隊員」ブリキ製ゼンマイ歩行・・・たかが「空き箱」されど「空き箱」

1970年代 ブルマァク製、帰ってきたウルトラマンに登場するMAT隊員のオモチャの箱です。 オモチャを買って貰うと箱は捨ててしまう事が多い為、オリジナルの箱は通常、3割程度の価値があります。 時には、本体以上に箱の方が価値がある場合すらあります。 本体よりも箱の現存率は確実に少ないので本体のみお持ちの方は是非、二個一セットにしてあげて下さい。 もちろん、箱を先に入手してから本体を捜すのも楽しみだと思います。 箱の大きさ・高さ26センチ×幅10.3センチ×奥行き6.7センチ。 ブルマァク製 MADE IN JAPAN 恐るべし「空き箱」・・・たかが「空き箱」されど「空き箱」ですね。 横上部の一部に破れ、下箱の内側底部に細いペン書きがあります。 経年による多少の汚れ、擦れありますが、円谷プロの版権シールは綺麗に残り、箱自体はしっかりとしています。 本体自体、中々見かけない珍しい物ですが、箱はそれ以上に珍しいと思います。 お好きな方へ(売り切れご免)http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14196537.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

近鉄バッファローズの本物のユニフォーム 背番号83は KANBA

私のパートナーの父親(義父)が昔、近鉄系列の会社に勤めていた関係で頂いた本物のユニフォームです。 クリーニングしたまま長らく仕舞っておりましたが、写真撮影の為にビニール袋から出しました。 近鉄バッファローズ 背番号83 KANBA 神部年男 神部 年男(かんべ としお、1943年3月24日~)は兵庫県出身の元プロ野球選手、野球指導者。 1943年に兵庫県加古郡播磨町に生まれ、播磨町立播磨中学校・兵庫県立高砂高等学校から三菱製紙を経て富士鉄広畑に進み、1968年の第39回都市対抗野球大会で優勝し最優秀選手の橋戸賞を受賞。 1969年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団。低迷期の近鉄で、左投げとしてローテーションに定着し、1975年4月20日の藤井寺球場での対南海ホークス戦でノーヒットノーランを達成。フィールディングや牽制球の技術に優れ、通算盗塁数日本記録保持者の福本豊は神部を「癖を見抜くことが難しく、もっとも盗塁しにくかった投手」と語っていた。長年の研究の結果「牽制球を投げる時、ほんの数mm軸足(右足)が浮き上がる」癖を見抜いたと言い、それは後に福本の口から神部にも教えられたという。同様に癖を見抜くことに長けていた高井保弘も神部の癖を見抜くことが出来なかったと語っている。1979年に佐藤竹秀・寺田吉孝と共にチャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。ヤクルトでは満足な成績は上げられず1982年限りで現役引退。 引退後は1983年から1985年までヤクルト二軍投手コーチ、1986年から1996年まで近鉄投手コーチを務め、1989年は一軍投手コーチ(ブルペン)として近鉄のリーグ優勝に貢献し、また数多くの投手を育成した。1997年から2001年までは、近鉄時代のヘッドコーチ・監督であった仰木彬に請われ、オリックス一軍投手コーチ。スカウトを経て、2005年に新生オリックス一軍投手コーチに復帰し2007年まで務めた。 2008年から2009年まで韓国プロ野球・起亜タイガースの一軍投手コーチを務め、投手陣を整備し2009年起亜の12年ぶりの韓国シリーズ優勝に貢献した。 2004年はJ SPORTSで解説者を務めていた。 2013年2月から3月にかけ、韓国プロ野球のハンファ・イーグルスの沖縄キャンプで投手インストラクターを務めることとなった。 データから背番号83は、1986年~1996年まで近鉄投手コーチを務めた時代のユニフォームだと思われます。 実際に使用されていたユニフォームだと思いますが、特に気になる汚れ、染み、破れなどなく十分に鑑賞に耐える綺麗な状態です。 レプリカなどではなく本物の迫力は格別です。 データによると身長175センチ、体重78㎏の人ですのでサイズの参考にして下さい。 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14171560.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

近鉄バッファローズの本物のユニフォーム 背番号45は KOYAMA

私のパートナーの父親(義父)が昔、近鉄系列の会社に勤めていた関係で頂いた本物のユニフォームです。 クリーニングしたまま長らく仕舞っておりましたが、写真撮影の為にビニール袋から出しました。 近鉄バッファローズのユニフォーム 背番号45番 KOYAMA 小山昌男 小山 昌男(こやま まさお、1963年8月30日~ )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(投手) 天理高校では、1年夏の第61回高校野球選手権に背番号15でベンチ入り。続く2年夏の第62回高校野球選手権では背番号11ながら右のエース格として出場し、同じ2年生で左腕エースの川本和宏、三塁手で4番の藤本博史とともにベスト4入りに貢献。その後は秋に起きたチームで起きた不祥事のため丸1年の対外公式試合禁止の処分を受け、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになる。しかし、甲子園での実績や素質を見込まれ1981年ドラフト2位で近鉄に入団。スリークォーターからのスライダー、シュート、カーブを武器に小野和義と共に近鉄の若手2本柱として活躍するも故障により1989年からは3年間一軍登板はなく1990年にはサイドスローに転向を試みるも結果を出せず1991年に現役を引退。 背番号45は、1982年~1991年現役投手時代のユニフォームとなります。 実際に使用されていたユニフォームだと思いますが、特に気になる汚れ、染み、破れなどなく十分に鑑賞に耐える綺麗な状態です。 レプリカなどではなく本物の迫力は格別です。 データによると身長185センチ、体重79㎏の人ですのでサイズの参考にして下さい。 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14169559.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

素晴らしき道楽生活を謳歌するオモチャ専門誌『玩具人生』ウルトラセブン特集

素晴らしき道楽生活を謳歌するオモチャ専門誌『玩具人生 第一号 特集・ウルトラセブン』音楽専科社発行。絶版本。116ページ。 ウルトラセブンのマニアは表紙に狂喜した方も多いであろう。 編集者当人がセブンファンゆえ、ウルトラセブンに関する資料は、他を圧倒する思い入れが見られる。 ウルトラセブンを中心に様々な玩具やキャラクターが紹介された意外と奥深い隠れた名著です。 楽天オークションでは、なんと65,000円スタート! http://auction.rakuten.co.jp/item/11697580/a/10015026/ 玩具人生 第一号 特集・ウルトラセブン 記念すべき第一号です。 特集:ウルトラセブン/マルザン・ブルマァクセブンソフビ総カタログ、セブン全エピソードガイド他掲載。   変身サイボーグストーリー、スーパー戦隊ロボ・クロニクル、70sヒーローメモリアル「アイアンキング」等も収録。 オリジナル限定ソフビ購入申し込み葉書(もちろん期間は終了)ない以外は、折れ、汚れ、色褪せ、日焼け等なく新品同様の美本です。 1200円で販売可(売り切れご免) 送料は最安値180円で送れます。 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14162971.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

お宝発掘・・・天国から地獄へ突き落された瞬間ショック

オモチャのコレクションを始めた1978年頃、実家のA市の隣、F市で発掘した「鉄腕アトム」です。 地元の人ですら知らない様な、人二人がすれ違う事すら出来ない様な狭い路地裏の中程に、その玩具店はひっそりと存在していました。 何かないかなと物色していたら「鉄腕アトム」の描かれた箱を発見!値段は160円・・・「やったー♪」と舞い上がる気持ちを抑えつつ箱を開けてみると・・・・ 「ガーン( ;∀;)」なんと、期待に反して中身は何の変哲もない只の発砲スチロール製のボールが3個入っているだけ・・・ 天国から地獄へ突き落された瞬間でした(がっかりショック) この日は、同じ店で「鉄腕アトムのカウントマシン」、「ブリキ製の戦車」、「ブリキ製のギター」の4点が戦利品でした。 おもちゃ探しをしていると、この時の様に期待に反してがっかりする事もありますが、全く期待出来ない箱なのに中を開けてみたら中身が入れ違っていて、とんでもない「お宝」と遭遇する場合も多々ありました。 『町には宝が眠っていた』お宝発掘の旅・・・今、振り返ると毎日がワクワクで夢の様な時代でした。 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14158589.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

「チョウのように舞い、ハチのように刺す」モハメド・アリとボクシングの玩具

プロボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンで、20世紀を代表するカリスマ的英雄だったモハメド・アリ(本名カシアス・クレイ)氏が米アリゾナ州フェニックスの病院で死去した。74歳だった。 全盛時のクレバーなボクシングスタイルは「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と評された。 1976年に、アントニオ猪木氏と対戦したのも話題となった。 黒人であるがゆえにレストランへの入店を拒否されると、1960年ローマ五輪で手にした金メダルをオハイオ川へ投げ捨てた。ベトナム戦争の徴兵を、「ベトコンは俺をニガー(黒人の蔑称)とは呼ばなかった」と明瞭な理由を公言して拒否した。 白人社会から敵視され、王座を追われると分かっていても、モハメド・アリ氏は恐れなかった。 五輪のメダルやチャンピオンベルトよりも尊く、大切にするべきものを持っていたからだ。 引退後、受けたパンチの後遺症とも指摘されるパーキンソン病を患った。 消息は断片的に報じられるぐらいだったが、1996年アトランタ五輪で世界中を驚かせた。 かつて黒人差別が激しかった南部ジョージア州で開催された五輪。 その地で大役を引き受けたのは、とうに「アメリカ」を許していたからだろう。 病気のため小刻みに震える手でトーチを握り、聖火台に灯す・・・ 息をのんで見詰めた観衆からの形容しがたい拍手がスタジアムを包み込んだ光景は、感動的だった。 尊厳を守るため、リングの内と外の両方で力の限り闘ったボクサー。 自分に嘘をつかない勇気ある生きざまに対して、あの拍手は贈られたのだろう。 今日は、そんな偉大なアリ氏を偲んでボクシングのオモチャを紹介しましょう。 1950年代に作られて主にアメリカなどに輸出されたボクシングの玩具です。 ひょっとしたら、アリ氏も子供の頃に買ってもらって王者を夢見て遊んだのかも・・・ ボクサー部分は、セルロイド製で両手がブラブラするように取り付けられています。 足元のゼンマイで左右に行ったり来たり、この反転時の振動で互いの両手からパンチが繰り出され、まるでボクシングで戦っている様に動きます。 同じ機構で大きさや、形状違いを8種類程、持っていたのですが・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14126637.html さらに、もう一点・・・1960年代に作られた「BOXING MONKEY・ボクシングモンキー」です。 ゼンマイで、体を左右に揺らして両手をグルグル回転させてパンチングします。 玩具店の長期在庫を発掘して暗所倉庫に仕舞ってありましたので、猿の毛並みも良く、ボクサーパンツの退色などもなく、保存状態は良好です。 箱も、大きな痛みはなく十分に鑑賞に耐えれるレベルです。 本体の高さ18センチ。 箱サイズ・幅20.5センチ×高さ18.5センチ×奥行8センチ。 5800円で販売可(売り切れご免) 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

特撮“ヒーロー”らしくない…借金お騒がせ仮面ライダー俳優

特撮“ヒーロー”らしくない…借金お騒がせ仮面ライダー俳優 「必ずお返しします、必ずお返しします」・・・こう繰り返しながら公園で土下座する男、かつては「子供たちの憧れ」のスーパーヒーローだった。 1980年放送の『仮面ライダースーパー1』で主演を務めた、俳優の高杉俊介(66)である。 高杉は陸上自衛隊のレンジャー部隊出身で、米軍特殊部隊グリーンベレーの研修を受けたこともあるという異色の経歴。鍛え上げた肉体と甘いマスクで女性からも人気を集めた。 仮面ライダースーパー1は、ライダーシリーズ第7作目に当たり人造人間となった科学者・沖一也が「赤心少林拳」という拳法と勇気を武器に悪と闘うストーリー。 ファンからは「アクションが歴代ライダーの中でも飛び抜けていた」と評される名シリーズだ。 それから36年、ヒーローは金銭トラブルが原因で、女性ファンから懲らしめられる姿に“変身”してしまった。 高杉はファンレターの送り主や、ファンクラブの会合で知り合った女性たちに「お金を貸してほしい」と頼み込み、合計5000万円以上を返済できない状態になっているという。 ヒーローとして再び、信頼を取り戻してほしいモノです。 ポピー製の仮面ライダーV3のスクランブルホッパーです。 『仮面ライダーV3』は、1973年(昭和48年)2月17日~1974年(昭和49年)2月9日まで、毎日放送・NET系で毎週土曜19:30~20:00全52話が放送された。 ライダーシリーズの第2作目で、前作『仮面ライダー』の直接的な続編。TVシリーズのほか、劇場版が「東映まんがまつり」の中で公開された。仮面ライダー1号・2号の後を継ぐライダー3号・V3と、ショッカーやゲルショッカーに続く第3の組織・デストロンの戦いを描く。前作の勢いを受け継ぎ、頂点を迎えていた変身ヒーローブームの大きな牽引役を果たした作品であり、主人公の強いキャラクター性とも相まって歴代シリーズ中でも知名度が高い。視聴率も平均で関東20.2%、関西27%を記録したほか、制作局である関西圏の毎日放送ではシリーズ最高視聴率である38%を記録し、その記録はいまだにシリーズでは破られていない。 ポピーというのは、バンダイのキャラクター商品部門で1970年代に「ポピー」のブランド名で、バンダイはキャラクター商品を発売していました。 V3のテレビ放映当時1973年頃の品です。 10個程、発掘しましたが最後の1個となりました。 玩具店の長期在庫を発掘して、暗所倉庫に仕舞っておりました。 V3が少年ライダー隊の隊員達の為に作った武器という事で、クルクル回すと不思議な音がして、劇中では戦闘員達が苦しみだしたりするのだ。 劇中では第25話と第26話に登場した。 V3の第25話の放送が1973年8月4日だから発売時期は、この前後と推測出来る。 夏休みには子供が屋外で遊ぶ機会が多くなるので、それを当て込んでの発売だったのだろう? この商品、少なくとも「光る!回る!変身ベルト」程の人気はなかったようだ。 劇中でも2度ほどしか出てこないところを見ると、あまり人気がなかったのではないかと思われる。しかし、それが逆に市場に出回る数が少なかった為に珍品となり、劇中に登場したものを、ほぼそのままに商品化したという点では、V3ファンとしては是非、入手して欲しいものである。 中に入っている説明文によると・・・ V3が考えたふしぎな武器 すごくよくとぶ空とぶ円盤 片手に持って水平に投げれば、すごくよく飛ぶ円盤だ! カプセルをはずして、ぐるぐるまわすとふしぎな音がでる。 ライダー隊のサインにつかおう! V3は、このホッパーを耳にあてて怪電波をキャッチするんだよ。 クルクル回すと音が出る玩具です。 ヘッダーに破れ、折れ、汚れ、褪色なくとても綺麗です。 透明ビニール袋未開封で、破れ、汚れなく透明感もありとても綺麗です。 43年も経っているとは思えない位の超美品ですが、決して復刻ではなく当時のデッドストックです。 商品サイズ・高さ40センチ×幅30センチ×奥行3センチ。 価格応談にて販売可(売り切れご免) http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14123841.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。

みんな大好きだった『タイガーマスク』熱狂的なファン多し!

みんな大好きだった『タイガーマスク』熱狂的なファン多し! 『タイガーマスク』は、1968年から1971年にかけて、以下の漫画雑誌に連載されました。 『ぼくら』(1968年1月号から1969年10月号まで) 『週刊ぼくらマガジン』(1970年1号から1971年23号まで) 『週刊少年マガジン』(1971年26号から同年53号まで) 知名度の点では、『巨人の星』や『あしたのジョー』と並んで、梶原一騎の代表作に数えられる。 作品の特徴としては、同じ孤児という出自で格闘技の世界に身を投じる『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈と、本作の伊達直人は好対照。 「大金を稼げるようになったのは虎の穴のおかげ、恩知らずは死ね!」と断じる“育ての親”との死闘という『巨人の星』の星親子よりさらに壮絶なエディプスコンプレックスの物語としての側面。 あるいは、孤児に試練を与え、勝ち残ったものだけを育てる虎の穴と、孤児を無条件で支援する伊達直人の「孤児支援への姿勢」に関するイデオロギー対立などが指摘されている。 あらすじ・・・ 孤児院「ちびっこハウス」の伊達直人は動物園の虎の檻の前でケンカをしたのがきっかけで、悪役レスラー養成機関「虎の穴」にスカウトされる。 虎の穴での殺人トレーニングをこなす日々の中で、自分と同じような生い立ちを持つ孤児たちに、同じような苦しみを味わわせたくないという想いを抱くようになり、虎の穴を卒業。悪役覆面レスラー「タイガーマスク」としてプロレスデビューをしてからは、収入の一部を孤児院へ寄付するようになった。当初は虎の穴へのファイトマネーの半額という上納金は支払った上で、自分の手取り分の範囲内での援助を考えていたが、自分の出身施設である孤児院「ちびっこハウス」の窮状を知り、虎の穴へ納める分まで寄付せざるを得なくなる。虎の穴はタイガーを裏切り者とみなし、タイガーを倒すための刺客を次々と送って来る。 同じ裏切り者となるなら、せめて後輩となる「ちびっ子ハウス」の子供たちに恥じない戦いをしたいと、悪役からフェアプレーで戦う正統派スタイルへ転向。当初は、身についた悪役ファイトが抜けきれず、また正攻法では大物レスラーを相手に通用しないので、苦闘の連続だった。レフェリーの目を盗んだ喉笛へのトウキックなどの隠し技を使うこともあったが、ジャイアント馬場にあっさりこれを見抜かれ、以後封印する。 衝撃の最終回・・・ 大阪での試合へ向かう当日、車にひかれそうになった子供をかばってあっけなく死亡した。 最後の力を振り絞って虎の覆面を近くの川へ投げ捨てたため、伊達直人の事故死とタイガーマスクの失踪は結びつけて考えられる事はなかった・・・ 唐突なエンディングは、掲載誌の突然の廃刊により無理やり最終回になったと記憶しています。 伊達直人を名乗って毎年の様に、孤児院にランドセルをプレゼントする人が現れてニュースになりました。 玩具は亀マークでお馴染みの中嶋製作所が、色んなサイズで発売していました。 中嶋製作所のミニソフビ「タイガーマスクとわるものレスラー人形」ミニサイズ2体セットシリーズです。 スマートな印象が強いスタンダードサイズと比べるとその適度なディフォルメ感と肉厚感たっぷりの造型、可愛くてカッコイイ!! ミドルサイズもありました。 9年近くの空白を開けて甦った第2代タイガーマスク『タイガーマスク二世』は、東映動画製作、テレビ朝日系列で1981年4月20日~1982年1月18日に放送。全33話。アニメ化作品の第2作目。 価格応談にて販売可(売り切れご免) 他にもスタンダードサイズの他に、三輪車やお面、カルタなどがありますが、何処に仕舞ったか捜すのが大変で・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14117407.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

Posted in 未分類 | コメントは受け付けていません。