Monthly Archives: 5月 2012

箱絵には時代の息吹が表れています・・・北原照久の箱絵図鑑

子供の頃オモチャを買って貰うと、本体中身は大事に残しても、箱はいつしか捨ててしまいますよね・・・・ 故に箱の現存率は非常に少なく貴重となります。 その希少性ゆえ、中身よりも箱の方が高額になるレアケースすらあります。 箱程、時代色を豊かに映し出す物はありません。 描かれた箱絵の世界には見事に時代感が表れています。 私がコレクションを始めた1978年頃は、今の様に「空き箱」はそれ程まだ評価されていませんでした。 古びた玩具店で埃を被った如何にも古そうなオモチャを発見!! 「ヤッター!」と喜び勇んで持ち上げると異常に軽い・・・そうです中身がなく箱だけなのです。 喜びが落胆へと変わる瞬間でした・・・ しかし、今思い返せば「空き箱」だけでも手に入れておけば良かったと今になって悔やまれます。 のちに箱のない本体のみのオモチャを手に入れた時、もしもあの時に箱だけでも手に入れておけばワンセット揃いになったのに・・・ そんな懐かしいブリキのおもちゃの箱絵パッケージを集めた写真集「北原照久の箱絵図鑑」です。 ブリキのおもちゃ博物館 館長北原照久の箱絵図鑑!! 大正時代から1960年代までに販売された懐かしいブリキのおもちゃの「箱絵」を、オールカラーで、堂々の420点以上収録! 乗り物、キャラクター、ヒーロー、ロボット、教育おもちゃなど、大正時代から1960年代までに日本で販売された懐しいブリキのおもちゃの箱絵(パッケージデザイン)をオールカラーで紹介。 箱絵を見るとアメリカ的な雰囲気を醸し出していますが、実は驚く事に全て日本製なのです。 どうしてかと言いますと、当時は殆どをアメリカを中心とした英語圏の国々に輸出していたからなのです。 日本製なのにアメリカナイズされた「ブリキのおもちゃ」達の数々・・・1930~1950年代に生まれ育った英語圏の当時の子供達は実は、一度は「MEDE IN JAPAN」日本製のオモチャで遊んでいた事になります。 当時の日本ではまだ普及すらしていなかったアメリカの憧れの家電製品の数々・・・ 横山光輝の代表作「鉄人28号」! 空飛ぶイメージの強い鉄人28号が、なんと三輪車に乗ってる姿や自動車を運転している姿は、なにか笑えませんか?? 巨大ロボットなのに三輪車?? スケール感がムチャクチャです(笑) もう二度と手に入らないブリキのおもちゃの初のパッケージデザイン集。 鑑定で高値がつく箱絵を約400点以上収載(装丁/ 横尾忠則) B5判変型240ページ。 1999年12月20日初版発売 (現在は絶版で再販の予定なし) 定価3360円(税込み)ですが2900円で販売可(全国発送送料160円) 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************************** 北原照久夢をかなえる授業 世界一のコレクター やればできると信じボクはいままでやってきた 好きを仕事にしたら頑張れる。 頑張っていれば助けてくれる人がいる。 … Continue reading

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やっとアロハシャツが着れる季節になりました・・・コレクターなら泣いて喜ぶ可愛いロボットのプリント・シャツ

ここ2~3日やっと暖かくなって半袖が心地よい季節になりました。 暖かくなってくると着たいのがアロハシャツです。 ブリキのおもちゃのコレクターなら泣いて喜ぶ可愛いロボットのプリント・アロハシャツです。 ★(株)ピンクハウスのパウダー(powder)製のブリキのロボット柄プリント・アロハシャツ。 サイズはフリーサイズで元々、このサイズ1種類しか作られていませんでした。 私は通常Mサイズを着ていますがやや大きめです。 実感としてはLサイズです。 15年程前に限定発売されかなり高額だったのですが清水の舞台から飛び降りるつもりで購入後、勿体無くて殆ど着用せず、箪笥の肥やしになっていました。 長年着ていなかった為、経年による畳みじわがありますが、暫くハンガーに掛けて置くかアイロンかければシワは直ると思います。 裾部分に材質・メーカーの表示タグに予備のボタンが付いています。 素材はレーヨン100%です。 作りも縫製も良く、メカニカルロボット(ロビーロボット)や、マニア垂涎のロボットの数々がプリントされたコレクターには堪らないお洒落なアロハシャツです。 ブリキのおもちゃのコレクターなら泣いて喜ぶ可愛いプリントシャツ http://www.tango-wave.jp/modules/blog/blog_view.phtml?id=324305 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ******************************************** 「空想アロハサーカス団」レーヨンハワイアンシャツ サンサーフは、東洋エンタープライズのアロハシャツ専門ブランドです。 サンサーフのアロハシャツは、すべてヴィンテージとしてかつて実在したデザインのものを当時の風合いそっくりにレプリカしています。 他では真似できない膨大な量の社内コレクション、ノウハウがあって初めて可能となる製品造り。 コレクターの方から、アロハを初めて着る方まで、幅広くオススメできるブランドです。 日本を代表するアロハシャツブランド、サンサーフ。 その中でも特別な存在であるKEONI OF HAWAIIシリーズです。 毎年、各分野で活躍する著名なアーティストをデザイナーに迎えています。 カールパパ、きのこの山の初期パッケージの動物達。 これらのキャラクターを生み出した山口マサル氏のデザイン。 氏は、この作品のために自身の持つ世界観を存分に発揮してくれた。 優しい色合いとデザインが相まって、どこか懐かしさを感じさせる仕上がりとなっています。 所狭しとデザインされたキャラクター達が、見るものを笑顔にさせます。 『空想アロハサーカス団ハワイアンシャツ』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5630913.html

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開運なんでも鑑定団「ビッグXのプラモデル」鑑定結果は?・・・オープン・ザ・プライス

2012年4月24日放送の開運なんでも鑑定団「おもちゃ鑑定大会」で以前、ご紹介したビッグXのプラモデルが鑑定されていました。 写真は昭和40年頃に発売されていた旧今井科学の『ビックX』のプラモデルです。 『ビッグX』は、1963年~1966年まで『少年ブック』に連載された手塚治虫の漫画作品、及びそれを原作とするテレビアニメである。 1994年頃に大阪の玩具問屋・松屋街のとある店で手に入れました。 この頃はまだ、捜せば1970年代の玩具は残っていた時代です。 この店にも、この頃は1970年代物がゴロゴロしていました。 そんな中に今井科学の『ビックX』のプラモデルが無造作に置いてありました。 当初、目を疑い『復刻版』?と思い手にとったのですが正真正銘の当時のオリジナルではありませんか!!! 当時の小売価格は480円、問屋さんなので更に卸し価格で買えました。めっちゃラッキー!! 今では何十万円という評価価格になっています。 これを読んで早速、行ってみようと思ったそこの貴方! 残念ながら流石に今は、ないですよ(笑) 少子高齢化で大阪の玩具問屋・松屋街もすっかり様変わりして街の様子も激変しました。 これを手に入れた店もこの約一年後には閉店してしまいました。 『探偵!ナイトスクープ』録画セットしたのに撮れてな~い.『プラモデルの魅力をわかってくれ!』 http://www.tango-wave.jp/modules/blog/blog_view.phtml?id=277853 さて気になるビッグXのプラモデルの鑑定結果は?・・・オープン・ザ・プライス http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20120424/04.html 本人予想額100000円→オープン・ザ・プライスをクリックすると○○○○○○円・・・正直、もう少し高いかなと思っていたのですが(一般の人からすれば、これでもビックリする程高いですが・・・) 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ***************************************** 『日本プラモデル興亡史』わたしの模型人生 サンダーバード、零戦、鉄人、ガメラ…。僕らが胸躍らせたプラモたちは、どうやって生まれたのか。 日本初のプラモデル専門誌『モデルアート』を創刊した著者が自分の半生に託して語る業界史。 第1章 プラモデルとの出会い(駐留軍が連れてきたプラモデル/世界最初のプラモデルは? ほか)/第2章 プラモデル前史(私と模型飛行機の出会い/模型飛行機の誕生 ほか)/第3章 プラモデルの黄金時代(模型屋を再開/小倉井筒屋に模型店を開く ほか)/第4章 プラモデル、大人の成熟した趣味へ(プラプレーン・コンテストの開催へ/プラプレーン・コンテストその光と影 ほか)/第5章 プラモデル、新しい時代へ(ミニ四駆ブームと出戻り(?)モデラー/新しいメーカーの誕生、プラモデルのこれから) 『日本プラモデル興亡史』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5610488.html

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1968年公開の映画ポスター「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」

コント55号の人気が頂点に達していた1968年公開当時の映画のポスターです。 松竹映画『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』ポスター●1968年公開当時の未使用品。 共演者名を見ると、藤岡浩のクレジットがあり1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』で、主人公本郷猛 / 仮面ライダー1号役に主演して一世を風靡するまで松竹に在籍していたんですねぇ。 三つ折にして保管していた跡が有り数ミリの極小さい破れあるものの、汚れ、退色、画鋲の穴などもなく未使用品で時代を考えると美品です。 [サイズ]長さ72、4センチ×幅51センチ。B2サイズ。 価格応談にて販売可。 コント55号の「55号」の意味は、結成の2年前に読売ジャイアンツの王貞治選手(当時)が年間55本の最多本塁打を記録し、それにあやかって「お笑い界のホームラン王を目指してほしい」という願いを込めたのと当時流行していたゴーゴーダンスの「ゴーゴー」から、そして英語の掛け声「GO!GO!」から来ているとされている。 1966年に結成するや、二人の名は瞬く間に広がり当たりギャグは「ど~してそうなるの!」(萩本)、「飛びます!飛びます!」(坂上) 余りに激しい動きをカメラが追いきれず、収録後楽屋から逃げ出そうとした二人をディレクターが止めて逆に詫びた逸話を持つ。 ビートたけしは55号の笑いについて「萩本さんのセンスと坂上さんの芸に尽きる」と分析している。 子供に見せたくないハレンチな俗悪番組としてPTA、地婦連、そして主婦の投書などで槍玉に挙げられた野球拳で良くも悪くも一世を風靡し、時代の寵児となった。 1975年以降はコンビとしての活動を大幅に自粛しコント55号としての活動よりも単独での活動に重点を置き、テレビ、ラジオ、映画と多方面に渡り活躍。 コント55号のライバルとしてよく名前が挙げられているのにザ・ドリフターズがあり、実際1960年代末~1970年代にかけて、子供たちの間で面白いコメディアンとしての人気を二分していた。 この点、萩本は「ドリフは戦友であって宿敵ではない」とこれを否定している。 他方、ドリフのリーダー・いかりや長介は生前「55号を常に念頭に置いて、意識してコント作りをしていた」と証言している。 ただし、「全員集合が終了に追い込まれそうになった時『もし終わるなら、最終回にゲストに呼んでほしい。 一緒に思いっきりコントをやろう』と(萩本が)言ってくれた」とも語っており、やはり両者は「戦友」であったことを窺えるエピソードである。 また、フジテレビのクイズ番組「TVプレイバック」にて、いかりやとともに回答者としてゲスト出演したことがある。 坂上自身はライバルは他にはおらず、萩本が最大のライバルだと公言しており、これを受けて萩本も坂上をライバルとしている。(萩本自伝「なんでそーなるの!」より) あのコント55号(欽チャン&二郎サン)がフィギュアになって帰ってきた!! http://www.tango-wave.jp/modules/blog/blog_view.phtml?id=356374 老若男女に愛される欽ちゃん(コント55号)ですが、昔は低俗番組で有名 http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5426749.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。   ************************************** 1968年松竹「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」DVD 伝説の爆笑コンビ、コント55号とチータこと水前寺清子が初めて組んだコメディー。 スラップスティック、ラブコメなどの要素がふんだんに盛り込まれた会心作。名匠・野村芳太郎監督による喜劇演出にも注目したい。 幼馴染みの欽ちゃん扮するヤクザの金一郎と、二郎さん扮するラーメン屋の次郎太が大人になって再会。 ある事件に遭遇する彼らだが、やがて共に一人の娘に恋心を抱き……。 『松竹映画コント55号DVD』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5580229.html

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L.L.Beanを代表するのが・・・・ビーン・ハンティングブーツ(ガムシューズ)

1912年にレオン・レオンウッド・ビーンにより創立された「L.L.Bean, Inc.」は、アメリカのアウトドア用品の老舗メーカーで2012年の今年は創業100周年にあたります。 当時、アウトドア雑誌でその存在を知り、欲しくて欲しくてたまらなかったのだが・・・ しかし当時、LL.BEANは日本に支店も無く、日本語版カタログも無かったので、入手するにはアメリカへ直接行って買うか、メールオーダーで個人輸入するかしかなかった。 東京の「スポーツトレイン」他、数店が僅かに平行輸入していましたが、とんでもなく高額でした。 メールオーダーなら送料などの諸経費を含めても日本で購入する価格の3分の1~2分の1位で買えました。 そこで、本社のあるメイン州につたない英文でエアメールを出し、カタログを取り寄せオーダーして、船便で1~3ヶ月掛かりで待って、苦労して入手した曰くつきの品なのだ。 昔は、アメリカからの「個人輸入」なんで毎日、為替相場を気にしながら注文したものだった。 船便なので注文した夏モデルが届くのは冬なんて事もしょっちゅう(笑) 現在は日本法人が有るから国内にFaxで注文書送るか、日本向けサイトからオンラインで簡単に購入出来る。 確かに便利にはなったけど、楽しみは半減したかなって感じ・・・ 数々のアウトドアクロージングの中でもL.L.Beanを代表するのが・・・ビーン・ハンティングブーツです。 L.L.Bean(L・L・ビーン、エル・エル・ビーン、エルエルビーン)のビーンブーツ(ガムシュー、ガムシューズ) 現在は、各アウトドアメーカーから類似品が多数、発売されていますが、元祖オリジナルはL・L・ビーン製です。 ビーン・ハンティングブーツは、L・L・ビーンの原点とも言える商品。 激しい雨風の日の外出でも、この靴なら確実に足元安心です! 下半分はゴム、上半分はレザーで作られた、滑りにくく防水性に優れたブーツです。 元々はハンターが湿地や、雨の日、雪道など過酷な道なき道を歩くために考案されました。 丈の長さは色々ありますが、雨の日に履くのに、あまりヘビーなのもと思い、タウンユースにも使えるガムシューズを輸入しました。 購入した1976年当時は、街で履いていると変な靴のレッテルを貼られましたが、それから半年もせずに、「知ってる人」の間では羨望の眼差しに変わりました。 1976年に購入してから36年も経っている為、流石にくたびれてきましたが、まだまだ履けます。 もうすぐ梅雨になると活躍してくれるでしょう・・・ 左がL・L・ビーン(アメリカ製)で、右がソレル(カナダ製)です。 1976年のカタログより。 1977年のカタログより。 1979年のカタログより。 Bean Boots by L.L.Bean ビーンブーツ L.L.Bean: Terry the Bootmaker L.L.Bean: Making of the L.L.Bean … Continue reading

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L.L.Beanを代表するのが・・・・トートバッグ

1912年にレオン・レオンウッド・ビーンにより創立された「L.L.Bean, Inc.」は、アメリカのアウトドア用品の老舗メーカーで2012年の今年は創業100周年にあたります。 当時、アウトドア雑誌でその存在を知り、欲しくて欲しくてたまらなかったのだが・・・ しかし当時、LL.BEANは日本に支店も無く、日本語版カタログも無かったので、入手するにはアメリカへ行って買うか、メールオーダーで個人輸入するかしかなかった。 そこで、本社のあるメイン州につたない英文でエアメールを出し、カタログを取り寄せオーダーして、船便で1~3ヶ月掛かりで待って、苦労して入手した曰くつきの品なのだ。 昔は、アメリカからの「個人輸入」なんで毎日、為替相場を気にしながら注文したものだった。 船便なので注文した夏モデルが届くのは冬なんて事もしょっちゅう(笑) 現在は日本法人が有るから国内にFaxで注文書送るか、日本向けサイトからオンラインで簡単に購入出来る。 確かに便利にはなったけど、楽しみは半減したかなって感じ・・・ 数々のアウトドアクロージングの中でもL.L.Beanを代表するのが・・・トートバッグです。 写真は我が家のトートバッグS.M.Lサイズです。 1982年のカタログより。 コットンキャンバス地のトートバッグ L・L・ビーンの鞄と言えば、トートバッグがあまりにも有名です。 大定番のコットンキャンバス地のトートバッグ。 まさに基本中の基本です。 アメリカのメイン州製。 1944年、氷の塊を運ぶためのバッグとして発売されて以来、品質にこだわり続けてきたL.L.Beanのトート・バッグ。 今でも同じ丈夫な24オンスのキャンバス地(イミテーションに比べて4オンスも厚手)を使用して、米国メイン州の自社工場で製造しています。 L.L.Beanボート・アンド・トート・バッグ 重い荷物もしっかりとサポートするオーバーラップ部分は、縫い目が劣化したり、ほころんだりする事のない、丈夫なナイロン糸のダブル・ステッチで補強。 ボトムは更にキャンバスで補強されています。 その為、バッグのみでもクタッと倒れたりせず自立します。 こちらも、以前はシンプルだったのですが、最近はサイド部分に刺繍プリントが入ったりして妙に垢抜けてしまい残念です。 2012年のカタログより。 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************************** LL beanより、ボストンバック入荷!! L.L. BEAN/ DOWNNEASTER SPORTS CANVS BAG 伝統のある良品を低単価で提供するアメリカの老舗L.L.Bean。 2010年より、更に良い素材と縫製で生産され、洗練されたプロダクトのみを展開するシグネチャーラインが発表されました。 容量も丁度良く、日帰り旅行やサブバッグとしてもご利用いただけそうです。 シンプルデザインですが、とてもかわいいデザイン! … Continue reading

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今年はL.L.Beanが創業100周年という事で久し振りにカタログを請求

今年は「L.L.Bean」が、創業100周年という事で久し振りにカタログを請求してみました。 で・・・・先日、届いたのが1912年サマー・カタログです。 1976年~1980年代前半までは、アメリカから直接、個人輸入で購入していました。 この頃は、まだL.L.Beanの製品を日本で取り扱っている店も極端に少なく、東京の「スポーツトレイン」他、数店しか無かったと記憶しています。 アメリカからの送料、為替手数料などの諸経費を含めても日本で購入する価格の3分の1~2分の1位で買えました。 中学、高校と一貫して英語の成績は赤点だらけの私が、全文英語のカタログと格闘・四苦八苦しながらオーダー。 少しでも安く買おうと送料の安い船便で届くまでの1ヶ月~2ヶ月待つ間も楽しみで、毎回の様に購入していた日々が懐かしいです。 当時のカタログは殆ど捨ててしまったのですが、捜したら数冊が出てきました。 やがて、日本法人が出来て、カタログも日本語表記になり、アメリカ本国とは別の日本向け商品が掲載され出すと、一気に熱が冷めて、随分遠ざかっていました。 1990年代になると横浜店、神戸店、京都店などが次々と開店しました。 「西のノースフェイス」より「東のL・L・ビーン」派なのですが、それでも近年は、妙に垢抜けてしまい残念に思っているのは私だけでしょうか? 1912年にレオン・レオンウッド・ビーンにより創立された「L.L.Bean, Inc.」はアメリカのアウトドア用品の老舗メーカーで2012年の今年は創業100周年にあたります。 L.L.Bean創業100周年記念ムービー L.L.Bean 100thアニバーサリー・カタログカバーの制作現場 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************************** [USA限定企画] L.L.BEAN TEFLON JKT エルエルビーン ナイロンジャケット 老舗アウトドアブランド L.L.BEANのUSA限定モデルのナイロンジャケットです。 フライパンなどでも有名なテフロンの防水技術を使用したアイテムです。 シンプルなデザインですが、生地の切り返し方や首周りポケット周りは機能美を感じます。 同色で主張しないロゴも、商品力に絶対の自信をもつLL BEANならではです。 薄手な生地感で、本体をポケット内に収納してコンパクトに持ち運べるパッカブル仕様なのも便利です。 そしてなんと言っても日本未発売のUS企画のデザインが魅力です。 ストリートでの軽いアウターから、カッパ、レインコートとしてのアウトドアまで幅広く活躍してくれます。 『L.L.BEAN ナイロンジャケット』は下記のサイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5480636.html

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昭和30年代当時のポンポン船『ポップポップボートP-7』入荷

子供の頃にお風呂の中や、タライに浮かべて遊んだ懐かしいポンポン船。 思い出は、時が経てば経つほど色褪せることなく輝きを増します。 懐かしい思い出を振り返るとちょっと胸が熱くなるのは何故だろう? 懐かしい思い出を振り返る事は脳の老化防止にも良いのだとか・・・ 真っ黒に日焼けして遊びに夢中になった懐かしい日々が蘇ります。 ろうそくの火で動くポンポン船。 一度はこのブリキのおもちゃで遊ばなかった子供はいなかっただろうと思われるほど、流行した玩具です。 大人には懐かしく、子供には新しい不思議なおもちゃ。 今でも当時の『ポンポン船売っていない?』とよく聞かれます・・・ 1960年代、日本製のブリキ玩具ポンポン船『ポップポップボートP-7』です。 当時のデッドストックで未使用品です。 一般的に昭和30年代当時のポンポン船は、殆どが袋に入って売られていました。 この箱入りは大変、珍しいです。 大変古い品で製造時よりの小傷はありますが、遊ばれた物ではなく錆びなく美品です。 2980円で販売可。送料140円で全国発送できます。 <遊び方> ・ストローでパイプの中に水を吹き入れる ・ろうそくを皿の上にのせて火をつける ・ろうそくをのせた皿を船の中に入れる →パイプの先にあるボイラーが温められて船が進む! 舵を上手に使ってお風呂に浮かべて遊ぶのがおすすめ。 ろうそく・ろうそく用の皿・ストロー(水注入用)全て揃っています。 [本体サイズ] 長さ11センチ×幅5センチ。 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************************** 懐かしいポンポン船などの駄玩具を売っていた駄菓子屋さんを再現! 『手作りドールハウスキット 昭和シリーズ 駄菓子屋さん 』 昭和30年のレトロな雰囲気を細部まで再現しています。 お店を並べて飾るとより雰囲気がでますよ。 昭和30年代をイメージした駄菓子屋さんキット。 単3電池2本を電池ボックスに入れると、お店の中に明かりがつきます。 電池は別途ご用意下さい。 ひとつひとつのラベルや看板をよーく見ると、とっても楽しいですよ! 子供の頃を思い出して作ってみませんか? 出来上がりサイズ:W220mm D130mm H180mm 『ドールハウスキット駄菓子屋さん』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5444483.html

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老若男女に愛される欽ちゃん(コント55号)ですが、昔は低俗番組で有名

今でこそ、老若男女に愛されている国民的コメディアンの欽ちゃん(コント55号)ですが、昔は親が子供に見せたくない低俗番組ワースト1でも有名でした。 その番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』は、1969年4月27日~1970年3月29日まで日本テレビ系で放送されていた。 「野球拳」のコーナーが有名で、進行役のコント55号自身も野球拳に参加していた。 なお、野球拳は本来愛媛県松山市に伝わる郷土芸能だが、やがてジャンケンで負けたゲストの女性タレントが脱衣するルールがお座敷芸として広まり、番組ではこちらのルールで行われた。 1969年7月6日の放送で視聴率は29.3%を記録し、同日27.6%だったNHKの『天と地と』を初めて上回った。 1969年10月には番組の最高視聴率である33.8%にまで達し、大晦日にも紅白歌合戦の裏番組として放送される。 しかし、その人気の高さから「子供が野球拳をマネする」などの苦情が相次ぎ、番組は1年間で終了した。 萩本欽一はこの番組を「最も嫌いな番組」としている。 PTAから「俗悪番組」の槍玉に挙げられたことも理由だが、55号本来の芸であるコントによる笑いで勝負させてもらえず、「野球拳」という安易な企画で視聴率を取ろうとする姿勢に納得がいかなかったという。 この番組では萩本の意見が一つも通らなかったという。 坂上二郎は、乗り切れなかった萩本と反対にこの番組で脚光を浴びた。 自身も乗り気で参加し、代表作の一つに挙げている。 野球拳で脱いだ衣裳はその場でオークションにかけられた。 「裏番組」という言葉はそれまでテレビ業界の俗語で、一般視聴者には知られていなかったが、この番組をきっかけに一般的な用語として広まった。 当時はゴールデンタイムの主力番組に「バラエティ番組」を置くという発想は珍しく、現在のようにバラエティがゴールデンタイムの主流として存在する先がけとなったのが、当『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』であると言われる。 そんなコント55号の人気が頂点に達していた1969年公開当時の映画のポスターです。 東宝映画『コント55号 俺は忍者の孫の孫』ポスター●1969年当時の未使用美品 一作目『世紀の大弱点』二作目『人類の大弱点』に続く三作目『コント55号 俺は忍者の孫の孫』の1969年公開の東宝映画ポスターです。 原作は山田風太郎氏の『忍法相伝73』だが、ストーリーは大幅に改変されている。 当時の喜劇映画に欠かせない共演者・俳優陣の名前が懐かしいです(2枚目写真参照) 軽く三つ折にして保管していた跡が有りますが、表のポスター自体に折れは見当たりません。 破れ、汚れ、退色、画鋲の穴などもなく未使用の美品です。 [サイズ]長さ72、4センチ×幅51センチ。 価格応談にて販売可。 あのコント55号(欽チャン&二郎サン)がフィギュアになって帰ってきた!! http://www.tango-wave.jp/modules/blog/blog_view.phtml?id=356374 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。   ************************************** 東宝映画『コント55号 俺は忍者の孫の孫』DVD 抗議行動でマスコミの寵児となった甲賀二郎と、彼の野望を阻止しようとする伊賀欽一が忍術合戦を繰り広げる。 山田風太郎原作の『忍法相伝73』をベースにした、欽ちゃんと二郎さんが宿敵として闘うギャグ・アクション。 『東宝映画コント55号DVD』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5426749.html

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『日清ちびっこのどじまん』のマスコットキャラクター『ちびっこ』をやっと入手

『日清ちびっこのどじまん』のマスコットキャラクター『ちびっこ』をやっと入手しました。 かなり汚れている物は以前に持っていたのですが・・・ エースコックの「こぶた」も友情出演です・・・可愛い~ 『日清ちびっこのどじまん』 は、1965年7月27日から1969年9月29日までフジテレビ系で放送された視聴者参加の歌合戦番組。 日清食品の一社提供番組だった。 公開番組の先駆け的存在でもあった。 一般の小学生や中学生らを対象にしたのど自慢大会。 大村崑の「日清食品提供」、カメラが会場へパンして、「日清ちびっこのどじまん」という掛け声から、毎回番組がスタートした。 1回に7名の出場者が登場し、ピアノの鍵盤に見立てたボードに、うたの点数が25点満点で表示される。 全出場者終了後は、審査員により1名のチャンピオンが選ばれる(まれに、複数の場合があった) 7名のチャンピオンが集まった時期に、「チャンピオン大会」が行われ、グランドチャンピオンが選ばれる。 そして年1回(8月頃)、7名のグランドチャンピオンを集めた「日本一大会」が東京厚生年金会館で開催され、日本一を決める。 番組終了までに4名の日本一が誕生した。 番組中期以降は、「とびいり」のコーナーを設けて、会場から1名を募り4番手の出場者として参加させたが、他の出場者に比べると低い点数であった。 また、出場者が歌っている最中に、「うた」と「たいど」のインジケーターが表示されるようになり、審査の評価がわかりやすくなった(ただし、大会の回にはなし) 出場者の歌が終わって審査の結果発表までの間に、番組独自のちびっこソングの紹介があった。 これらの歌が家庭や学校、文部省(現:文部科学省)などから評価を得るようになり、それらを収録したソノシート(ケイブンシャ)や、『あつまれ!ちびっこ』というタイトルのLPレコード(キングレコード、第1集 – 第3集)が発売された。このオリジナルのちびっこソングを番組で歌うと、審査上でも有利な扱いになった。 当時は2インチVTR使用のため、映像は1本しか現存していない。 これは司会の大村が唯一、第3回日本一グランドチャンピオン大会を録画したものと判明している。 この他にも、オープニングテーマは坂本九が歌唱していた時期もあった。 番組最高視聴率は、1966年8月26日放送の39.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)1969年5月17日からは、それまでのモノクロ放送からカラー放送に切り替わった。 野口五郎が子供の頃に出演していました。 ギター持って歌ってたっけ?   当時の事ですから、この番組の映像は、ほとんど残っていないのですが、運よく、彼の映像は残っています。 天童よしみもこの番組が縁でアニメ『いなかっぺ大将』の歌でデビューが決定したんです。 上沼恵美子も常連だった。 山田隆夫は飛び入り(という演出?)で優勝したようです。 他にも結構、いろんな人が出演してたんです。 野口五郎(この番組でチャンピオンになっている)上沼恵美子、研ナオコ、片岡鶴太郎、天童よしみ、大友康平、 西川峰子などなど・・・ざっと調べただけでも、デビュー前の芸能人が子供の頃に、これだけ出演していた!! こんな番組も他には無いんじゃないでしょうかね? 日清食品提供だったんですが、なんと言っても出前一丁ですよね。 ア~~ラヨ。出前一丁~♪ っと、あの坊やが印象的。 特製ごまラー油入りがウリでした。 しばらく後には焼きそばも出ましたね。  ♪~ 日清やきそば、焼・こ・う~♪ … Continue reading

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