近鉄バッファローズの本物のユニフォーム 背番号83は KANBA

私のパートナーの父親(義父)が昔、近鉄系列の会社に勤めていた関係で頂いた本物のユニフォームです。
クリーニングしたまま長らく仕舞っておりましたが、写真撮影の為にビニール袋から出しました。

近鉄バッファローズ 背番号83 KANBA 神部年男

神部 年男(かんべ としお、1943年3月24日~)は兵庫県出身の元プロ野球選手、野球指導者。
1943年に兵庫県加古郡播磨町に生まれ、播磨町立播磨中学校・兵庫県立高砂高等学校から三菱製紙を経て富士鉄広畑に進み、1968年の第39回都市対抗野球大会で優勝し最優秀選手の橋戸賞を受賞。
1969年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団。低迷期の近鉄で、左投げとしてローテーションに定着し、1975年4月20日の藤井寺球場での対南海ホークス戦でノーヒットノーランを達成。フィールディングや牽制球の技術に優れ、通算盗塁数日本記録保持者の福本豊は神部を「癖を見抜くことが難しく、もっとも盗塁しにくかった投手」と語っていた。長年の研究の結果「牽制球を投げる時、ほんの数mm軸足(右足)が浮き上がる」癖を見抜いたと言い、それは後に福本の口から神部にも教えられたという。同様に癖を見抜くことに長けていた高井保弘も神部の癖を見抜くことが出来なかったと語っている。1979年に佐藤竹秀・寺田吉孝と共にチャーリー・マニエル・永尾泰憲との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。ヤクルトでは満足な成績は上げられず1982年限りで現役引退。

引退後は1983年から1985年までヤクルト二軍投手コーチ、1986年から1996年まで近鉄投手コーチを務め、1989年は一軍投手コーチ(ブルペン)として近鉄のリーグ優勝に貢献し、また数多くの投手を育成した。1997年から2001年までは、近鉄時代のヘッドコーチ・監督であった仰木彬に請われ、オリックス一軍投手コーチ。スカウトを経て、2005年に新生オリックス一軍投手コーチに復帰し2007年まで務めた。
2008年から2009年まで韓国プロ野球・起亜タイガースの一軍投手コーチを務め、投手陣を整備し2009年起亜の12年ぶりの韓国シリーズ優勝に貢献した。
2004年はJ SPORTSで解説者を務めていた。
2013年2月から3月にかけ、韓国プロ野球のハンファ・イーグルスの沖縄キャンプで投手インストラクターを務めることとなった。
データから背番号83は、1986年~1996年まで近鉄投手コーチを務めた時代のユニフォームだと思われます。

実際に使用されていたユニフォームだと思いますが、特に気になる汚れ、染み、破れなどなく十分に鑑賞に耐える綺麗な状態です。
レプリカなどではなく本物の迫力は格別です。
データによると身長175センチ、体重78㎏の人ですのでサイズの参考にして下さい。

http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14171560.html

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過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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