Monthly Archives: 5月 2021

唯一無二の家造り12・・・ライティングデスクをテレビ台に代用したらいい感じ

リビングルームを造るにあたり既存のTV台ではイマイチだなぁ・・・ そこで・・・ライティングデスクをテレビ台に代用しました。 1983年4月の開店当初は、喫茶店でありながら家具も販売していました。 当時、販売していた家具の見本サンプルとして置いていたライティングビューローをTV台として活用する事にしました。 ダイニングテーブルに座ってTVを見ると目線の高さに合うのですが、ソファに座って見ると少し見上げる形になるのですが、慣れれば全く気にならないし見上げる事で実際よりも画面が大きく感じます。 デスクの引きだしには細々とした物を仕舞っておけますし中央下には以前に紹介した電気式暖炉がすっぽりとイイ感じに収まります。 そろそろ冬支度・・・揺らめく炎の電気式暖炉に癒される https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12521356988.html デスクはワンタッチで蓋を閉めればスッキリします。 結果オーライで、なかなかいい感じに収まりました。 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************* お薦め  今森光彦の心地いい里山暮らし12か月 (写真家のアトリエ「オーレリアンの庭」から) 著者が30数年かけて自らの手で作り上げたオリジナル里山とそこでの暮らしぶりを初公開。 ガーデニングから料理まで、自然の中で生きものと共存する心地いいライフスタイルを月ごとにまとめて紹介します。 里山観察のパイオニア、写真家・今森光彦氏が、琵琶湖をのぞむ田園につくった“生きものの集まる庭”。 30数年にわたるその構想から完成までの様子を初めて綴ったエッセイです。 虫や鳥、植物たちと共存する豊かな里山暮らしをガーデニングや料理などのライフスタイルを通して提案しています。 また、庭で観察される動植物134種を月ごとに独自の視点で解説した図鑑としての実用性も高いほか、 今森氏の第2のライフワークであるペーパーカット(切り絵)の大作15点を収録した見ごたえのある作品集でもあります。 『今森光彦の心地いい里山暮らし12か月』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12677008477.html

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大好きだったギャグ「…じゃあ~りませんか」「ごめんくさい」吉本新喜劇のチャーリー浜さん死去

昭和初期のエンタツ アチャコ 坊屋三郎 益田喜頓 ロッパ エノケン 高瀬実乗などが描かれた型抜き面子を入手しました。 90年程昔の超レアな未使用品です。 先日、紹介した「おちょやん」のモデル浪花千栄子と花菱アチャコの貸本マンガ『お父さんはお人好し』 花菱アチャコの相方である横山 エンタツの貸本マンガ『エンタツの名探偵』です。 ラジオドラマ『お父さんはお人好し』の花菱アチャコは戦前、横山 エンタツとのコンビ『エンタツ・アチャコ』として「しゃべくり漫才」を作り上げた伝説の漫才師コンビでした。 その横山 エンタツ(1896年4月22日 – 1971年3月21日)の息子である花紀京は喜劇俳優で盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き長きに渡って君臨した。 大好きだった吉本新喜劇の花紀京の直弟子であるチャーリー浜さんが4月18日、呼吸不全のため大阪市内の病院で亡くなられました。78歳でした。 「君たちがいて、ぼくがいる」「ごめんくさい」「こりゃまたくさい」「あーくさ」「僕チャーリー」「あのさ、ぼくさ、どっこいさ」など鉄板ギャグが数多くあったが、なかでも有名なのが「… じゃあ~りませんか」などのギャグを連発し1991年の新語流行後大賞にも選ばれた。 チャーリー浜さん、本名、西岡正雄さんは、昭和17年、大阪市で生まれました。 昭和37年に吉本興業に入り、吉本新喜劇を中心にテレビCMや舞台などで活躍し、代表的なギャグ「…じゃあ~りませんか」は、平成3年には新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。 顔が大村崑に似ていたために、無名時代『頓馬天狗』の殺陣のシーンでは一部代役を行った経験があり、また最終回では、頓馬天狗に間違えられて捕らえられる者の役で、台詞付きで出演もしている。それが縁で後に舞台で「ザ・コンチャンズ」として共演したこともある。 浜自身、大村を師匠と呼んで慕っており、その際に大村から受けた「下品なネタはするな」「シモネタはするな」「舞台で弱者を苛めて笑いを取るな」の教えを終始、頑なに守っていた。 自宅でハリハリ鍋を食べていた際、酒に酔った浜がトイレへ行こうとして足でガスコンロの栓を外してしまい、そのままガス漏れで一時意識不明となって入院した。 復帰後の舞台で、後遺症のため「ごめんください」「ありがとう」「こんにちは」がまともに言えず、自暴自棄で酒を飲み二日酔いで立った翌日の舞台で「ごめんください」を「ごめんくさい」と言い間違えてしまったことが、新ギャグ誕生・ブレイクのきっかけとなった。 「禍転じて福と為す」人生何処でどうなるか分からないですねぇ 写真は、10年程前に、コンビニでアサヒビールを買うとオマケに付いていたミニフィギュアです。 開封するまで何が入っているか判らないのでコンプリートは大変でした。 吉本新喜劇シリーズ全10種+シークレット1種 ●チャーリー浜 ●島木譲二 ●桑原和男 ●井上竜夫 ●池乃めだか ●未知やすえ ●末成由美 ●島田珠代 ●なかやまきんに君 ●山田花子 ●間寛平(シークレット) 漫才師シリーズ全12種 ●上方よしお ●西川のりお ●横山やすし ●西川きよし … Continue reading

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おちょやん『お父さんはお人好し』花菱アチャコの相方は横山エンタツ

NHK連続テレビ小説『おちょやん』も終りました・・・ 先日、紹介した昭和33年発行の貸本マンガ『お父さんはお人好し』の写真左側はエンタツの『エンタツの名探偵』(1953年 – 1954年)です。 ラジオドラマ『お父さんはお人好し』御父さんの花菱アチャコは横山 エンタツとのコンビ『エンタツ・アチャコ』 「しゃべくり漫才」を作り上げた伝説の漫才師、横山エンタツと花菱アチャコ。 戦前、人気スポーツだった「早慶戦」をネタにした漫才をNHKラジオが放送して、全国的な人気を獲得した。 横山 エンタツ(1896年4月22日 – 1971年3月21日)は、大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見(いしだ まさみ) 花菱アチャコとのコンビ(横山エンタツ・花菱アチャコ)によって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。 漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。 オール阪神・巨人に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせる話が持ち上がったが、本人たちが「畏れ多い」と固辞した。 「横山」の亭号を名乗る漫才師一門はエンタツを始祖とする。 横山ノック、横山やすしらは弟子にあたる。吉本新喜劇初期の出演者でもある。 息子である花紀京は喜劇俳優で盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き長きに渡って君臨した。 新喜劇ではニット帽[にシャツ、腹巻、ニッカーボッカーを着用し、目の下に隈を描き、鼻を赤く塗ったスタイルがトレードマークとなった。泥棒役や土木作業員役が主な役どころ。 その風貌から「奥目の八ちゃん」と親しまれた岡八朗との独特のボケ・ツッコミをくりひろげるコンビ芸は最高に面白かったです。 花紀京の直弟子は間寛平、レツゴーじゅん、チャーリー浜など 昭和レトロな珍品●昭和戦前~戦後20年代頃の大変珍しい「飛ばし面子」トニー谷、エンタツ、錦之助、東千之助4枚セット ​​​​​​​ 玩具店の長期在庫を発掘しました。 未使用品で保存状態は良好です。 粗末な紙質ですので、なかなか綺麗な状態で残っていないと思います。 古川ロッパなどと同時期に活躍したトニー谷、エンタツ、錦之助、東千之助の顔が描かれています。 吉本興業の初期の大御所タレント達です。 おそらく戦前~戦後昭和20年代頃の品と推測します。 飛行機型で大変珍しい形状です。 1枚のサイズ高さ4cm×幅4.2cm。 画像は表と裏を並べていますが4種1セット800円で販売可能。 送料はミニレターなら全国均一 最安値63円で送れます。 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************* おすすめ なつかしの昭和爆笑漫才~天国の笑星(スター)~ … Continue reading

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唯一無二の家造り11・・・和室をリビングダイニングに併設して大正解

ダイニングで食事を済ませた後にソファに座るのもいいれど、日本人ならホッと一息和室でゴロゴロしたい・・・ そこで家を建てる際には、リビングダイニングに併設して和室コーナーを絶対に作りたいと思っていました。 和室はリビングダイニングより34㎝高い小上がりにしています。 段差がある事で、視覚的に広く感じますし二面の扉を閉めて仕切る事で冷暖房効率を高め小部屋としても重宝します。 この段差を設ける事で腰掛ける事も出来ますし手前の琉球畳3枚分の下は引き出し式の物入れで、奥の琉球畳6枚分を持ち上げて外すと下が大容量の物入れスペースとなっています。 ダイニングテーブルは前の家を建てた際に別注で作って貰いました。 通常は4~5人が座れますがテーブル面が、折り畳み式になっており広げると6~7人が座れます。 更に和室の座卓と並べるとテーブル面の高さが揃う様に計算してあるので12~13人が座れ和室に座っている人とテーブルに座っている人の目線位置が揃い話しも分断される事がありません。 盆・正月に子供や孫達が帰って大人数になっても大活躍で、使用する人数によってフレキシブルに対応出来るようにしています。 リビングダイニングに和室を併設して大正解でした。 新築で間取りを考える際には是非、検討してみて下さい。 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************* お薦め 最新版「最高に心地のいい家」をつくる方法―自分らしく過ごせる家に暮らしたい 『最高に心地のいい家をつくる方法』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12674302200.html

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今年のGWも外出を自粛して畑を作って土と戯れる日々となりました

昨年は、コロナウィルスの影響でゴールデンウィークが緊急事態宣言の発令によりステイホームでツリーハウスの下にデッドスペースがあり、この場所に畑作りをしていました。 コロナ対策で外出は自粛して畑を作って土と戯れる https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12591326072.html 今年もゴールデンウィークが緊急事態宣言の発令により不要不急の外出を自粛する事になるとはよもや思いもしませんでした。 今年は、昨年作った畑の隣りに延長する形で更にブロックを並べて畑を作り、トマト、ミニトマト、キュウリ、オクラ、ピーマン、万願寺唐辛子、茄子の苗を植えました。 隣の畑では、今年も茗荷がドンドン大きくなっております。 都会では貸農園が人気なんだとか?・・・ 田舎では耕作放棄地が多数あり、我が家の近くでも無料、もしくはタダ同然で借りられる畑が沢山あります。 東側に面した敷地16mは、傾斜地なので3段の段々畑にしています。 段々畑に降りる石の階段も自作しました。 材料費はセメント代の150円程のみで作れました。 今年のGWも、コロナウィルス対策で外出を自粛して畑を作って土と戯れる日々となりました。 変異型コロナウィルスの収束も先が見えず本当にオリパラ大会行えるのでしょうか? 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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こどもの日・・・子供の数40年連続の減少、玩具店も減り続ける中コレクション始め43年

総務省は「こどもの日」に合わせて15歳未満の子どもの人口推計(4月1日現在)を発表した。 2021年は前年に比べ19万人少ない1493万人で、1982年から40年連続の減少となった。 比較可能な50年以降で過去最少を更新し、少子化の加速に歯止めがかからない現状が改めて示された。 総人口に占める子どもの割合も前年比0.1ポイント減の11.9%で過去最低。 1950年には総人口の3分の1を超えていたが、第2次ベビーブーム期(1971~1974年生まれ)に出生児数の増加で上昇して以降、1975年から47年連続で低下した。 男女別の内訳は、男子が765万人、女子が728万人。3歳ごとの年齢区分では、12~14歳が324万人、9~11歳が314万人、6~8歳が298万人、3~5歳が292万人、0~2歳が265万人で、年齢が低いほど子どもの数が少なくなる傾向が続いている。 少子高齢化に伴い子供達の夢であるオモチャ屋さんも、時代の流れに逆らえず減り続けている。 1978年からレトロ玩具コレクションを始め1979年からは、キャンピングカーで日本一周しながら収集した懐かしいオモチャの数々・・・探せば何かしら毎日の様に発掘出来た夢の様な時代でした。 又、個人経営のおもちゃ屋さんも今とは違いまだまだ沢山ありました。 思えば、個人経営のオモチャ屋さんも随分と無くなって仕舞いましたネ・・・ 当時は、郊外に大型ショッピングセンターが出来て、昔ながらの商店街は客が減少し閉店した店が増えシャッター通りと言われ始めていました。 のちの少子高齢化と大手玩具チェーンの代頭を前に、個人の玩具店はその後、次々と姿を消す直前でした。 当時、今ほど『ブリキのおもちゃ』の価値は世間では評価されておらず、売れ残りの玩具は、お店でも邪魔になり持て余している状況でした。 正に私が、助け出してやらなければ、ゴミとしてどんどん捨てられる運命だったのです。 浦島太郎は、子供達に苛められていた亀を助けて竜宮城へ行き、私は捨てられる運命にあった『古臭い玩具』を助け、現代版『御伽噺』とも言うべき桃源郷を発見しました。 こうして日本一周しながら全国の玩具店を捜し廻り『時代の欠片』を拾い集めると、その数は物凄い量になりました。 いい歳をした大人をも夢中にさせる『ブリキのおもちゃ』 43年のキャリアをもってしても、未だに見た事もないオモチャとの出会い・発見があり、なんと奥深いのでしょう・・・ 飽きるどころか、益々新たな魅力を発見する日々です。 海外でも日本製のオモチャは高く評価され熱心なコレクターが沢山います。 唯一無二の家造り6・・・40年間のコレクション人生の集大成ミニ博物館 https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12521359350.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12672871161.html

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ラジオ『お父さんはお人好し』浪花千栄子は『おちょやん』のモデル

NHK連続テレビ小説『おちょやん』で、杉咲花さん演じる主人公、千代にはモデルとなった女優がいる。 昭和の名女優・浪花千栄子(なにわちえこ)だ。 座長の渋谷天外と結婚するも夫の浮気により20年後に離婚、失意のどん底から引退するが、花菱アチャコたっての希望で女優復帰し、女優としてさらなる花を咲かせた。 ラジオ全盛時代の人気コメディ『お父さんはお人好し』の母親役でスターとなり、1973年12月に66歳で急逝するまで、映画やドラマに欠かせない名脇役として活躍した。 朝ドラ『おちょやん』もラジオドラマ『お父さんはお人好し』に出演するシーンになりました。 第21~22週に『お父さんはお人好し』の描写がある。 お父さんはお人好しは、長沖一原作、NHK大阪放送局制作で、NHKラジオ第1で放送されていたラジオドラマ。 全国各地で公開収録がされていた。 戦後の花菱アチャコと浪花千栄子の代表作。 当時、大阪の放送番組は、週に3時間半の枠だけ、東京でも放送されていた。 その中の1時間を使って放送され、人気を得たのが、「てなもんや三度笠」「番頭はんと丁稚どん」などであった。 だが、これらの番組で使われた言葉は、東京向けに手直しされた大阪弁であった。 これに対し、「お父さんはお人好し」で話されたのは、こてこての大阪弁であった。 放送日時は1954年12月13日 – 1965年3月29日まで、月曜日 20:00 – 20:30放送。 アチャコと千栄子を実際の夫婦と勘違いしている人も多かった。 地方の公開収録の際も移動の列車の座席が隣同士だったり、ホテル(宿)の部屋が一緒にさせられたりしたこともあったらしい。 人気にあやかり、映画や舞台にもなりました。 写真の貸本マンガは昭和33年発行の『お父さんはお人好し』です。 貸本屋は最盛期である昭和20年代~30年代には全国で三万軒以上あったと言われ、私が育った綾部市にも昭和39年当時で記憶にあるだけでも4~5軒ありました。 この本は宮津市の某元貸本店で1986年頃に、200冊以上発掘した中の一部です。 殆どが昭和32~34年発行のB6判ハードカバーでまさに貸本漫画の黄金期の品ばかりでした。 NHK連続テレビ小説『おちょやん』モデルとなった浪花千栄子のオロナイン軟膏ホーロー看板 https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12641185732.html 写真をクリックすると大きく見れます。 過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。 ************************* おすすめ 浪花千栄子の人生劇場 (TJMOOK) 『浪花千栄子の人生劇場』は下記の関連サイトから購入できます。 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓ https://ameblo.jp/tintoys1956/entry-12671902572.html

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