1968年公開の映画ポスター「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」


コント55号の人気が頂点に達していた1968年公開当時の映画のポスターです。

松竹映画『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』ポスター●1968年公開当時の未使用品。

共演者名を見ると、藤岡浩のクレジットがあり1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』で、主人公本郷猛 / 仮面ライダー1号役に主演して一世を風靡するまで松竹に在籍していたんですねぇ。

三つ折にして保管していた跡が有り数ミリの極小さい破れあるものの、汚れ、退色、画鋲の穴などもなく未使用品で時代を考えると美品です。
[サイズ]長さ72、4センチ×幅51センチ。B2サイズ。
価格応談にて販売可。

コント55号の「55号」の意味は、結成の2年前に読売ジャイアンツの王貞治選手(当時)が年間55本の最多本塁打を記録し、それにあやかって「お笑い界のホームラン王を目指してほしい」という願いを込めたのと当時流行していたゴーゴーダンスの「ゴーゴー」から、そして英語の掛け声「GO!GO!」から来ているとされている。
1966年に結成するや、二人の名は瞬く間に広がり当たりギャグは「ど~してそうなるの!」(萩本)、「飛びます!飛びます!」(坂上)
余りに激しい動きをカメラが追いきれず、収録後楽屋から逃げ出そうとした二人をディレクターが止めて逆に詫びた逸話を持つ。
ビートたけしは55号の笑いについて「萩本さんのセンスと坂上さんの芸に尽きる」と分析している。
子供に見せたくないハレンチな俗悪番組としてPTA、地婦連、そして主婦の投書などで槍玉に挙げられた野球拳で良くも悪くも一世を風靡し、時代の寵児となった。
1975年以降はコンビとしての活動を大幅に自粛しコント55号としての活動よりも単独での活動に重点を置き、テレビ、ラジオ、映画と多方面に渡り活躍。
コント55号のライバルとしてよく名前が挙げられているのにザ・ドリフターズがあり、実際1960年代末~1970年代にかけて、子供たちの間で面白いコメディアンとしての人気を二分していた。
この点、萩本は「ドリフは戦友であって宿敵ではない」とこれを否定している。
他方、ドリフのリーダー・いかりや長介は生前「55号を常に念頭に置いて、意識してコント作りをしていた」と証言している。
ただし、「全員集合が終了に追い込まれそうになった時『もし終わるなら、最終回にゲストに呼んでほしい。
一緒に思いっきりコントをやろう』と(萩本が)言ってくれた」とも語っており、やはり両者は「戦友」であったことを窺えるエピソードである。
また、フジテレビのクイズ番組「TVプレイバック」にて、いかりやとともに回答者としてゲスト出演したことがある。
坂上自身はライバルは他にはおらず、萩本が最大のライバルだと公言しており、これを受けて萩本も坂上をライバルとしている。(萩本自伝「なんでそーなるの!」より)

あのコント55号(欽チャン&二郎サン)がフィギュアになって帰ってきた!!

http://www.tango-wave.jp/modules/blog/blog_view.phtml?id=356374

老若男女に愛される欽ちゃん(コント55号)ですが、昔は低俗番組で有名

http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5426749.html

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。
 
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1968年松竹「コント55号と水前寺清子の神様の恋人」DVD

伝説の爆笑コンビ、コント55号とチータこと水前寺清子が初めて組んだコメディー。
スラップスティック、ラブコメなどの要素がふんだんに盛り込まれた会心作。名匠・野村芳太郎監督による喜劇演出にも注目したい。
幼馴染みの欽ちゃん扮するヤクザの金一郎と、二郎さん扮するラーメン屋の次郎太が大人になって再会。
ある事件に遭遇する彼らだが、やがて共に一人の娘に恋心を抱き……。

『松竹映画コント55号DVD』は下記の関連サイトから購入できます。
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http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/5580229.html

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