独特のスパイシーな味付けで真似のできない美味しさ!あの「ケンタッキー・フライド・チキン」の味を再現!その1

マクドナルドには、ロッテリアやモスバーガー、バーガーキングなどがあり、ミスタードーナツには、クリスピードーナツやダンキンドーナツなどの同業競合店が存在しますが、ケンタッキーフライドチキンは、同業競合店の追随を許さない「真似の出来ない美味しさ」ですね。

家庭で、この味が再現出来たらいいと思いますよね~

kfc-1
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kfc-2
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kfc-3
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1974年4月~1978年12月まで4年9カ月、KFCの社員として働いていた私にも、この味を家庭で再現する事は無理だろうと思っていましたが、先日、「がっちりアカデミー!!」という番組を観て俄然、味の再現に挑戦してみようと思い立ちました。

世の中のソンとトクをハッキリさせてしまう「がっちりアカデミー!!」
7月27日の放送は、「安くて簡単!なんちゃって料理グランプリ!」。
行列のできる“有名店”の味が、なんと!自宅で作れちゃう禁断の方法が明らかに!
これでアナタも「なんちゃって料理」の達人になれちゃいますという内容でした。
■エントリーNo.6「ケンタッキー風フライドチキン」
魔法のなんちゃって料理の達人は、都内在住の主婦の絶対の自信作!
今回作る「なんちゃって料理」とは?ケンタッキー風のフライドチキンでした。
独特のスパイシーな味付けで大人気!あの「ケンタッキー・フライド・チキン」を再現!
その出来栄えは80点とか・・・試食した司会者の加藤「うわっ近ぇ!すげぇ!衣の感じそっくり!似てるね!これどうやって作ってるんだろ?」

そのレシピと調理方法を公開していましたが・・・こんな方法で80点?と言うのなら、もっと近いものが絶対作れると思い思考錯誤が始まりました。

<ケンタッキー秘伝の11種類のハーブ&スパイスの秘密>
ハーブ&スパイスは11種類の原料を3段階に分けて混ぜています。
途中まではアメリカの別々の2つの工場で配合して、仕上げは日本の工場で作っているので、工場の人ですら全種類の配合を知らない。
社長ですら知らないトップシークレットと言われています。

11種類のハーブ&スパイスの内、7種類ほどは99%の確率で判るのですが残りの4種類が確信がもてない?
又、11種類が判っても、何がどの比率で調合されているのでしょう?
かなり近いところまでは肉薄していますが・・・

KFC-1
( KFC-1 )
KFC-2
( KFC-2 )

ケンタッキーフライドチキン (Kentucky Fried Chicken)は、世界で初めてフランチャイズビジネスを創始した。
http://www.kfc.com/
キャッチフレーズは「It’s finger lickin’ good.」・・・1970年代の日本のテレビCMでは「指まで舐めちゃう美味しさです」と訳されていた。

カーネル・サンダース(本名:ハーランド・サンダース、1890年生まれ~1980年没)によって1939年に考案されたフライドチキンの調理法が礎になっており、使用される調合スパイスの種類と調合率はごく一部の人にしか知られていない厳重な企業機密である。
調理機材などの進化はあるにせよ、基本的な調理法はカーネルサンダース考案の頃から全く変わっておらず、60年以上同じ味を維持し続けている。
http://www.colonelsanders.com/

KFCストリングタイ-1
( KFCストリングタイ-1 )
KFCストリングタイ-2
( KFCストリングタイ-2 )
KFCストリングタイ-5
( KFCストリングタイ-5 )

カーネルサンダースの事をもっと詳しく知りたい人は・・・
ケンタッキー・フライドチキンを始めたのは、彼がナント65歳のとき。
そして世界でフランチャイズビジネスのはしりとして世界的企業を起こした男の半生は感動!
超高齢化社会を迎えている私たち日本人に勇気を与える。

早くに父を亡くした彼は、工場で働く母を助けて6才で料理を始めた。
弟妹と母のために焼いたパンが皆に大喜びされたのが7才。
このときの嬉しさをカーネルは生涯語り続け、その感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というもの。

そして大人になってから開いたガソリンスタンドに併設された「サンダース・カフェ」という店が大繁盛。
その店の名物が彼が作る独特の味付けのフライドチキンだった。
そして多くの客で賑わい、店を増改築して順風満帆に見えた。

しかし、時はアメリカのモータリゼーションが華やかりし頃、新しいハイウェイが作られ、しかもサンダース・カフェはそのルートから外されてしまったのだ!
交通が不便になったために客が激減し、彼は泣く泣く店を手放すことになる。
そして税金と未払いの代金などを支払うと、彼の手元にほとんどお金は残らなかった。
このとき、彼はすでに65歳!

彼に残されたものは、中古のフォード社製の車、そしてサンダース・カフェもで最も人気のあった,彼が独自に考え出した「7つの島から取れた11種類のハーブとスパイス」を使い、圧力釜で作るフライドチキンの作り方だけだった。(スパイスの味は、現在でも極秘の配合で社員でも知らない)

彼は考えた。
このどこにもないフライドチキンのレシピを他のレストランに紹介して、気に入ってくれたら、作り方を伝授し、その代わりにフライドチキンが売れた分だけ1ピースにつき5セントのロイヤリティをもらうという契約を結ぶということ。
これしか彼がお金を稼ぐ道は残されていなかったのだ…
彼は車に寝泊りし、飛び込みでレストランというレストランを尋ねて回った。
試食さえしてもらえればきっと気に入ってくれるはずだ…
きっとこの味を求めている人がいるはずだ…
そして断られた数は約1600店!
それが今では、世界約80カ国に10000店舗以上を構えるまでに成長した!!!

なんてドラマチックな、波乱万丈の人生…

カーネル・サンダースの言葉
『人生は自分が作り上げていくもの、そして人生に【遅い】ということはない』

あなたは、今、何歳ですか? 
まだまだカーネルに負けちゃいられませんよ。

カーネル物語(ケンタッキーフライドチキン)
http://www.kfc.co.jp/room/story.html

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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ぼくのフライドチキンはおいしいよ―あのカーネルおじさんの、びっくり人生

ぼくのフライドチキンはおいしいよ
( ぼくのフライドチキンはおいしいよ )

お店の前に白いスーツ姿で立っていて、皆によく知られているカーネルおじさん。
あのモデルは、アメリカ生まれのフライドチキンを世界に広めたカーネル・サンダース。
あの姿はおなじみになっているのに、彼の驚くような波乱の生涯は意外と知られていない。
幼くして父親を亡くし、働く母の代わりに家事をするカーネル。
7歳にしてパンを焼き、美味しいものを作る喜びを知るが、すぐに働き手として家をはなれ、職を転々とする苦労続きの青春を過ごす。
なかなかうまくいかないカーネルが、成功の階段を登るきっかけになったのは、「美味しいフライドチキン」だった。

65歳からはじめたフライドチキンの事業で大成功するまでの数々の失敗と苦難。
カーネルはどうやって乗り越えたのか。
とにかく知られざるびっくりするカーネルおじさんの人生を描き出す。

『ぼくのフライドチキンはおいしいよ』は下記の関連サイトから購入できます。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/62666151.html

 
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