水木しげるデビュー作『ロケットマン』の前に書き残した「赤電話」があった!

水木しげる先生の本名は武良茂(むら・しげる)。
代表作『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』など
大正11年(1922年)3月8日生まれで、2015年11月30日没。
太平洋戦争下のニューギニア戦線・ラバウルに出征。
過酷な戦争体験を重ね、米軍の攻撃で左腕を失う。一方で現地民のトライ族と親しくなり、ニューブリテン島に残ることも希望したが、周囲の説得で日本へ復員した。
復員後は貧窮により画家の修行を諦め、生活のために始めた紙芝居作家を経て上京。
当初は本名(武良茂)で活動していたが、経営していたアパートが神戸市兵庫区水木通にあった事から「水木しげる」のペンネームを使い始めた。
1957年(昭和32年35歳)に、紙芝居業界に見切りをつけて単身上京し、東京亀戸に下宿する。
上京後、貸本漫画家に転身するも出版社も零細企業が多く、どうにか出版が決まっても代金の支払いは度々滞り懸命に働いても生活は楽にならず、家賃の滞納や質屋通いが続いた。
作品が評価されず不遇の生活が続く内に暗く陰惨な作風が強まり、それが出版社から「作風が暗い」と敬遠されて余計に生活が苦しくなるという悪循環に陥っていった。
一時は「水木しげるの名では売れない」と堀田弘、竹取おさむなど勝手に作者名を変更される屈辱を味わった。
貸本時代の水木先生は、出版社や作品などによって複数の名義を使い分けていた。
特に自身が編集を任されていた貸本誌では、多数の作家が執筆しているように見せるため、1冊の中で複数の作品を別名義で書き分けていたと言う。
以下の出典は、名義の一覧と簡単な使用歴など。

◎東真一郎
西宮時代に階下を貸していた歯科医の名前「東」と、兄の長男の名前「真一郎」を合わせた名前。兎月書房以外の出版社で多数使用。

◎むらもてつ
少年時代に名乗っていた雅号から付けた名前。戦記漫画で使用。

◎関谷すすむ
短編漫画、読み物、イラストなどで多数使用。

◎武良茂、武良しげる
水木の本名。短編漫画、読み物、イラストなどで多数使用。

◎米替富夫
貸本時代のアシスタントの名前をいじったもの。短編漫画で使用。

◎戦記屋三平
戦記読み物やイラストで使用。

◎なんでも屋三平
科学読み物やイラストで使用。

◎萩原治、堀田弘
出版社が勝手に付けた名前。時代劇漫画で使用。

◎猿飛佐一
忍者読み物やイラストで使用。

◎武取いさむ
出版社が勝手に付けた名前。戦記漫画で使用。

◎水木洋子
少女漫画で使用。

この貧乏生活のさなか、すでに40歳近い水木を心配する両親の強い薦めで、島根県能義郡大塚村(現在の島根県安来市)出身の飯塚布枝と見合いから結婚式までわずか5日というスピード婚で1961年に結婚した。

結婚前、貸本漫画のデビュー処女作となる『ロケットマン』を2ヶ月かけて1957(昭和32年)年12月4日に完成させ、翌1958年(昭和33年36歳)2月 に、『ロケットマン』を兎月書房から刊行する。
1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める。

正式なデビュー作『ロケットマン』の僅か2ヶ月前に、自身と同じく紙芝居から離れていた加太こうじの推薦もあり、兎月書房という小さな出版社から別の作家(宮健司)が書き残した「赤電話」という漫画を手伝い共作で完成させる仕事をしていた事実が確認されました。
宮健児の描き残した作品に水木先生が加筆して完成させたものです。
後半30ページほどは水木先生の手によるものらしいです(本人自身の弁)
確かにカラー・ページの部分と比べると明らかに絵のタッチが違います。
紙芝居から貸本漫画への転換期、水木漫画の試行錯誤が垣間見える希少本です。

1957年(昭和32年)年11月30日に兎月書房から発行された「おもしろ長編漫画37 赤電話」(宮健司と武良茂(むら・しげる)共作)
A5上製。96ページ。

昨日、ご紹介した「まんだらけZENBU79号」の巻末目玉商品として紹介されていた兎月書房発行の「赤電話」が載っていました。

まんだらけZENBU79号「昆虫&ピープロ、うしおそうじ特集」

http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/14767176.html


奥付けページの右上に「mura.sigeru.昭和32.10」の表記あり。
本名の武良茂(むら・しげる)名義で、デビュー作『ロケットマン』の実質2ヶ月前の執筆となります。


水木先生が描いたと特定出来るページはそんなに多くはありませんが終盤の数ページは、水木作品を彷彿とさせる完成度の高さで「ロケットマン」の誕生を予感させます。
例えばラストで登場する巨大ロボットは、ほとんどそのままロケットマンにも登場、悪のボスの素顔は鬼太郎をイメージさせるなど・・・「妖奇伝」の表紙絵を連想させる。
まさにロケットマン執筆前夜に描かれた水木作品を世に問う試験的作品だったと言えるでしょう。
まんだらけ誌上オークションでのスタート価格が、なんと税別で60万円!!!
仮にスタート価格で落札出来たとしても、品代60万円+手数料(落札代金の10%)60000円+消費税52800円の合計価格は最低でも712800円にもなります!!!
後日、落札結果を見ましたらスタート価格60万円(諸経費込712800円)で購入者がありました。

ん!?何処かで見たような?たしか家にある筈?・・・と言う訳で捜してみたら、やっぱりありました♪
1985年頃に入手して当時、さして関心もなく全く気付かないまま今の今まで入手から32年間も、我が家の片隅でひっそりと眠っておりました。

カバーも、しっかり残っています。
上の段右・・・カバー表紙(右下に小さい引っかき破れあります)
上の段左・・・本体表紙
下の段右・・・カバー裏表紙
下の段左・・・本体裏表紙

60年近く昔の本で、経年による染み汚れが少々あるものの、破れ、折れ、虫食い、落書き、色褪せなく貸本特有の綴じ穴もなく時代を考えると非常に美本の部類だと思います。
価格応談にて販売可(売り切れご免)

数々のペンネームを使い分けていた水木先生・・・昭和30年代前半の貸本漫画は200冊程、持っていますので真剣に探したら何か新しい発見があるかもしれません?

案外、貴方の身近にも「お宝」があるかも???
当店に来店の上で 『見せて下さい』と言って頂ければ閲覧させて頂きます。
但し、2月下旬までは冬休みで休んでいます。

http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/MYBLOG/yblog.html

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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