【初代若乃花死去】昭和の相撲を象徴した“土俵の鬼”と「栃若時代」

「土俵の鬼」と呼ばれた大相撲の元横綱初代若乃花で、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が9月1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都内の病院で死去。82歳。青森県出身。
歴代横綱では初代梅ケ谷の83歳に次ぐ2番目の長寿だった。

花田氏は平成17年5月に死去した元二子山親方(元大関貴ノ花)の兄で、若乃花、貴乃花の兄弟横綱の伯父。
昭和21年秋場所で、初土俵を踏み、25年春場所で新入幕。
30年秋場所後に大関に進み、33年初場所後に第45代の横綱に昇進した。
全盛期でも105キロの軽量ながら猛げいこで鍛え上げ、呼び戻しなどの大技でファンを魅了した。
ライバルの横綱栃錦とは昭和30年代前半に「栃若時代」を築き、優勝も栃錦と並ぶ10回。

昭和37年夏場所前に34歳で現役を引退し、年寄「二子山」を襲名。二代目若乃花、隆の里の2横綱、貴ノ花、若嶋津の2大関らを育てた。
相撲協会では63年2月から理事長に就任し、2期4年務め、平成8年9月まで定年退職後は相撲博物館長を務めた。

「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花。

大関だった昭和31年9月、4歳だった長男の勝雄くんが、ちゃんこ鍋に煮立った湯をかぶり全身大やけどで死亡した。
その10日後に初日を迎えた秋場所で若乃花は連日、大きな数珠を首から下げて場所入りし、12連勝。しかし12日目から高熱を発し、13日目から入院。
それでも最後まで出場を目指した。

鬼気迫る姿が「土俵の鬼」という二つ名となった。

「鬼」ぶりは、だれもが「激しかった」と振り返るけいこにも表れた。
21年の入門時174センチ、75キロと、当時でも決して大きくなかったが、徹底したけいこで地位を上げた。
代名詞となった幻の大技「呼び戻し(仏壇返し)相手をほぼ裏返しにして土俵にたたきつける」も、厳しいけいこの中で磨かれた。

同じように小さな体ながら多彩な技を誇った栃錦(第44代横綱)と競い合った黄金の「栃若時代」

35年春場所での、史上初の横綱同士の全勝対決など、2人の名勝負は始まったばかりのテレビ中継で全国に興奮を呼び、大相撲の確固たる地位を築いた。
2人は後に親方として多くの弟子を育て、現在の両国国技館建設に尽力するなど、協会の運営にも力を発揮した。
まさに昭和の相撲を象徴する巨星でした。


一枚目写真は栃錦(左)と初代若乃花の優勝額授与式=1959年5月

二枚目写真は「栃若時代」の好敵手、栃錦のお面(おでこの上に栃錦の凸凹表記あり)と昭和30年代に駄菓子屋で売られていたブロマイドです。
駄菓子屋さんの残庫品を発掘しました。左より宮錦、栃錦、北ノ洋。
昭和30年代の子供達にとっては角界の力士はヒーローだったのです。
ブロマイドは3枚セットで販売可。
「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬・柏戸時代の少し前です。

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい

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