昭和の喜劇王・古川ロッパ最晩年の“幻の作品”を発見!!

昭和を代表する喜劇役者・古川ロッパ(1903~61)の遺作となったテレビ映画「ロッパの水戸黄門」の全13話分のフィルムが、京都市内の個人宅で見つかる。
1960年11月から61年1月に毎日放送(大阪市)が放映した作品で、病をおして出演したロッパの最晩年の姿を知ることができる。
同放送は「テレビ草創期の貴重な資料」として一部を焼き直し、6月3日の毎日テレビのVOICE特集報道番組で公開されました。

水戸黄門にふんしたロッパの喜劇版・漫遊記。
諸国を巡り、いざこざを解決していく「ご老公」を、渋みのある演技でみせている。
当時、京都市右京区にあった映画会社「新星映画」が製作したが、放映後、フィルムの所在が分からなくなっていた。

見つかったのは原板と映写用の2種類で、新星映画の元社長(故人)が京都市内の自宅で押し入れに保管していた。
遺族が昨夏に発見し、大阪芸術大映像学科の太田米男教授に寄贈、太田教授が毎日放送に復元を持ち掛けた。
原板は劣化が激しかったが映写用は傷みがなく、同放送が映像業者に依頼し第2話と最終話(ともに約30分)を焼き直した。

ロッパは持病の糖尿病が悪化し、13話の放映が終了する11日前に57歳で死去。
最終話は水戸黄門の偽物が現れるという内容で、太田教授は「ロッパの登場場面が少ないところをみると、全シーンを撮る前に亡くなり、急きょ脚本に手を加えてしのいだのではないか」と言う。

ロッパの長男古川清さん(71)は「父は晩年、病気で体力が衰え、仕事量が減っていたが、映像の中ではとても元気で、胸が熱くなった」と話す。

ロッパの研究者で早稲田大演劇博物館招聘研究員・中野正昭さんの話「喜劇役者の大半が芸に飽きられて消えていった戦後、彼なりに俳優へ転向しようとしていた形跡が伺える。
ロッパをまとめて見られるテレビ映像はほとんど残っておらず、貴重な発見だ」

お笑いの芸人が晩年、渋い演技で輝くというパターン(植木等、藤田まこと、いかりや長介など)の先駆けと言えるでしょう。

「エノケン」のニックネームで同時期に活躍した喜劇役者榎本健一と、しばしば比較され、「エノケン・ロッパ」と並び称されて人気を争った。
恰幅の良い体格にロイド眼鏡の丸顔がトレードマークのロッパは、華族出身のインテリらしい、品のある知的な芸風が持ち味で、小柄で庶民的かつ軽業芸も得意なエノケンとは違い、激しい動きは得意でなかったが、その鷹揚さと朗々たる美声から来る「お殿様」らしい貫禄が大衆に好まれた。

写真は昭和レトロな珍品●昭和戦前~戦後20年代頃の大変珍しい「飛ばし面子」4枚セットです。
古川ロッパなどと同時期に活躍したトニー谷、エンタツ、錦之助、東千之助の顔が描かれています。
1枚のサイズ高さ4cm×幅4.2cm。
4種セットで1050円(税込)で販売可。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

***********************************************

古川ロッパ/傑作集

エノケンと並び昭和を代表するコメディアンと称される偉人のSP音源の復刻で、初CD化。
服部良一や古賀政男の作曲による流行歌や芸者歌手とのデュエット、コミック・ソングなどを収録。
歌詞の内容はコミカルだが、洋楽をいち早く咀嚼したサウンドは相当モダンで洒脱。

「古川ロッパ/傑作集」は下記の関連サイトから購入できます。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/62483441.html

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink.

Comments are closed.