彗星の如くデビューした手塚治虫の幻の名作『新寶島』と『新宝島』を比較

ディズニーとの権利関係で「復刻は不可能」とされていて、手塚治虫全集にも未収録だった作品『ピノキオ』と『バンビ』(ピノキオの原本は当時無許可で出版されていた)が復刻された事は以前に紹介しましたが、もしも手塚氏が、存命であったなら絶対に実現しなかったであろうファン待望の『新寶島』の復刻本。

手塚伝説は、ここから始まったと言ってもいい『新寶島』・・・
手塚ファンやマンガ研究者の間では、幻の『新寶島』の復刻を願う声がずいぶん昔からあったものの私たちが実際にこの作品に触れる機会は極めて稀であった。
マンガ史のエポックを作った作品として名前くらいは知っていても、実物を手に取ったという人は極めて少ないはずだ。

『新寶島』は、まだマンガ家としてデビューしたばかりの手塚治虫と、大阪マンガ界のベテランだった酒井七馬による合作であった。
手塚治虫・画、酒井七馬・構成の「新寳島」は、戦後1947年に発表され、40万部も売れたと言われる当時の大ヒット作品です。
戦後漫画のスタートとして漫画史上に大きく位置付けられています。
それまでの漫画は、舞台劇を観る様な単調な画面構成であったのが、映画の手法を取り入れた躍動感に溢れる画面構成は、今日の漫画の隆盛を担ってきた若い作家たちに大きな影響を与えた事でも知られた作品です。
しかし、長い間復刻がされず幻の作品とされてきました。
現存している物はかなり少なく、初版本なら300万円、再版でも150万円前後と藤子不二雄の『最後の世界大戦』と並んで『日本一高い漫画単行本』となっており、並のファンに手の届く代物ではありません。

実は『新宝島』は、講談社発行の手塚治虫全集で手軽に読むことができます。
しかし、この全集版『新宝島』は、1986年に全てが描き直された、タッチもコマ割りも異なる全くの別モノで、昭和22年発行の元祖『新寶島』とは全く異なるものだったのです。
なぜ復刻ではなく、わざわざ描き直すことになったか…というのは、全集版のあとがき『「新宝島」改訂版刊行のいきさつ』に書かれています。

■オリジナル版の原稿・刷り見本等は現存しない(当時の出版社は原稿買い取り制だった)。
■オリジナル版はターザンの顔など、原作者・酒井七馬によって手が加えられており、完全な手塚治虫作品とはいえず、この点が手塚氏自身が気に入らなかった。
■印刷物からの復刻も可能であるが、本を出版する際の「描き版」(原稿を、印刷会社が更にトレースする)の質が良くなかった為、トレースで酷くなった自分の絵を読者に見せたくなかった。

更に250ページの原稿を見せたが、酒井氏が勝手に60ページを削り、さらにキャラクターの一部を描き直したと言う。
又、『新寶島』の奥付の著者欄には酒井の名前しかないのを見て、手塚が怒ったという。

出版された当時、酒井七馬氏により大幅に手直しされた事により若き日の手塚氏には納得が出来なかった様で、手塚治虫漫画全集に収録するにあたっては、全面的に書き直しがされましたので原本からは遠く離れた作品となってしまっていました。
この事が手塚氏にとってはクリエーターとして耐えがたく結局のところ、手塚先生の完璧主義が、一番の復刻できない理由だったのです。
一部の研究者に存在が知られていた1947年1月25日の初版本は現在、数冊しか存在が確認されていませんが、その『お宝』が原本から忠実に復刻され手塚治虫・生誕80周年、没後20年、酒井七馬・没後40年という記念すべき2009年に日の目を見ました。

戦後マンガ第一世代に多くの影響を与えながら、これまで一般では容易に目にする事すら出来なかった記念碑的作品です。
マンガ文化隆盛を迎えたいま、現代マンガのひとつの原点となる作品で、その復刻がマンガファン・研究者などから強く望まれておりました。
手塚研究者の竹内オサム、中野晴行の両氏の解説と、浦沢直樹氏や横尾忠則氏などの短文を収録した小冊子を付録として収録。B6 変形・箱入。

一般的に「新寳島」は、手塚治虫のデビュー作と言われていますが正確には1946年1月から、少国民新聞(毎日小学生新聞)に連載された四コマ漫画「マァチャンの日記帳」がデビュー作です。
しかし、読み切り単行本としてはデビュー作と言われています。

●完全復刻版 新寶島
生誕80周年を記念して手塚治虫が封印してきた幻の単行本デビュー作の完全復刻。函入り。
浦沢直樹、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、横尾忠則など各氏の寄稿を収録した解説小冊子付き。
原作・構成を担当した酒井七馬の役割や、初版部数の謎を解明する中野晴行、竹内オサム氏の解説も収録。
戦後漫画史の空白が明らかに・・・・

●新宝島 (手塚治虫漫画全集 281)
講談社から刊行された「手塚治虫漫画全集」の『新宝島』は、手塚自身が『新寶島』執筆当時の構想を思い出しながら描き下ろしたもので、オリジナルとは別物である。
復刻ではなく、わざわざ描き下ろしという手法をとったあたりに、手塚が『新寶島』という作品に抱いていた複雑な感情を見て取ることができる。
宝島の地図をたよりに、ピート少年は冒険の海へとびだす……。
戦後マンガにエポックを画し、著者のデビューを彗星の如く輝かせた幻の名作をリメイクして鮮烈に甦る!!
他に貴重な資料「ぼくのデビュー日記」も収録。

『新寶島』と『新宝島』を大変、興味深く比較してみました。
本来の手塚氏の考えたラストは『夢オチ』となっていた点など、随所に違いをみてとれます。

「新宝島」復刻記念講演

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

手塚治虫の単行本デビュー作「新宝島」は、後の有名マンガ家たちからマンガを志すきっかけとなった作品として繰り返し賞賛されているが、この作品は手塚ひとりの仕事ではなく、共作者がいる。
現在手塚全集に収録されているのは、手塚がのちに新しくリメイクしたもので別作品といっても過言ではない。
まるで封印されたかのような共作者こそ酒井七馬である。
手塚と酒井の間には確執があったとも伝えられ、酒井は、コーラで飢えをしのぎ、電球で寒さをしのぎながら失意のうちに死んだと信じられてきた。
しかし、それは真実なのか?・・・酒井七馬の知られざる生涯と、「新宝島」誕生の裏側へと迫る。
手塚神話の陰で、餓死したとまで噂される謎のマンガ家の知られざる生涯と業績を追う。

発端―または酒井七馬の墓に参ること
第1部 生い立ち・マンガ・アニメ・終戦(訪問者、アニメと銀幕のスター、甥・隆道の見た七馬 ほか)
第2部 焼け跡・『まんがマン』・『新寶島』・赤本ブーム(ハロー進駐軍、住彦次郎との出会い『まんがマン』創刊 ほか)
第3部 紙芝居・絵物語・テレビアニメ(紙芝居に転じる人々、ジェーン台風と街頭紙芝居、三邑会時代の酒井七馬 ほか)

「謎のマンガ家・酒井七馬伝」は下記のサイトから購入できます。
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http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/62378642.html

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