日本プロレス界の父「力道山を刺した男」が死亡していた

「力道山を刺した男」が死亡していた。

「日本プロレス界の父」と呼ばれたプロレスラー、力道山をナイフで刺した指定暴力団住吉会系の村田勝志幹部(74)が4月上旬、都内で死亡していた。

病死とみられる。最近は糖尿病を患っていたという。

村田幹部は昭和38年12月8日夜、東京・赤坂の近くのナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で力道山と口論になり、持っていた登山ナイフで腹を刺した。

力道山は翌9日に病院で手術を受けるなどしたが、この傷が遠因となり同15日に死亡した。

昭和20年代後半~30年代前半頃の「力道山とシャープ兄弟」丸面子です。


プロレス、格闘技。
昭和20年代まだ戦後の傷跡も残り、国民が打ちひしがれていた頃、テレビが登場しましたが、もちろん高額で家庭に普及していなかった頃、街頭テレビでみんなが夢中になったそんな時代の頃の品です。
時代間感のある色使いが魅力的です。
径11.5cmと、比較的大判でデッドストック品の為、汚れ、破れ、色褪せ無く、60年以上も物のモノとは思えないくらい美品です。
厚紙製で大変、綺麗な保存状態ですが決して復刻品などではありません。
35年以上前に玩具店の倉庫より発掘しました。
350円+送料80円にて販売可。

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、増田俊也による長編ノンフィクション。

昭和29年12月22日—-。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった……その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!
『ゴング格闘技』誌上で2008年1月号から2011年7月号にかけて連載、2011年9月30日に新潮社から単行本として発売され、発売半年で18刷のベストセラーとなった。

第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞受賞作。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は下記の関連サイトから購入できます。
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