「イーグルス」メンバーだったランディ・マイズナー死去 “Take it to the limit”聴いて追悼

「イーグルス」メンバーだったランディ・マイズナー死去 “Take it to the limit”聴いて追悼

ランディ・マイズナー氏(米ロックバンド「イーグルス」創設メンバー、ベーシスト兼ボーカリスト)7月26日、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症のため西部ロサンゼルスで死去、77歳。

1977年の脱退までバンドを支え、ヒット曲「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」を手がけた。  1946年、中西部ネブラスカ州生まれ。

米女性歌手リンダ・ロンシュタットさんのバックバンドでドン・ヘンリーさん、故グレン・フライさんらと知り合い、1971年にイーグルスを結成した。

1971年夏、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドのメンバーとして採用され、そこでドン・ヘンリー、グレン・フライと出会う。後にバーニー・レドンも加わり、同年9月、ヘンリー、フライ、レドンとともにイーグルスを結成、デヴィッド・ゲフィンのアサイラム・レコードと契約し、1972年にアルバム『イーグルス・ファースト』をリリース。アルバム中 自らがリードボーカルをとった”Tryin’”や”Take the Devil”の他、”Earlybird”"Most of us are sad”などをバンドメンバーと共作。二作目の「デスペラード」では”Certain Kind of Fool”、”Saturday Night”作曲にかかわりこれを歌っている。 イーグルス三作目のアルバム「オン・ザ・ボーダー」には “Is it true?” を書いて”Midnight Flyer” 同様リードボーカルをとる。また、イーグルスの人気と知名度を桁違いのものにしたという4作目の「呪われた夜」では自身が主に作曲し歌った “Take it to the limit”がイーグルス初のミリオンセラー・シングルとなる。イーグルスのギタリストであるドン・フェルダーとの共作 “Too Many Hands” もこのアルバムに収められている。

イーグルスには1976年の『ホテル・カリフォルニア』の制作と77年のツアーまでメンバーとして参加、自身の手による “Try and Love Again”を歌う。しかし、この曲がイーグルスとして公に演奏されることはなかった。結成当初は民主的だったバンド内で、ヘンリー、フライが徐々に専制的な態度を見せるようになったこと、ジョー・ウォルシュが加入し、バンドのサウンドがよりロック寄りになったこと、ビッグ・グループの一員としての多忙な生活に疲れたことなどが重なり、1977年9月にイーグルスを脱退する。後任には、ポコでもマイズナーの後任を務めたティモシー・B・シュミットが加入。

脱退後はソロアルバムなどを発表。
“Take it to the limit”聴いて追悼します。


0The Eagles – Take It To The Limit – (Live at the capital center 1977)
https://www.youtube.com/watch?v=_ryt2KMWkK4

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過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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テイク・イット・トゥ・ザ・リミット

CDタイトルの「テイク・イット~」は,彼が在籍していたイーグルスのおはこでもある。イーグルスをやめたランディはこの名曲を実に味わい深く,ちょうど,他人にあずけていた自分の子供が返ってきて…,それをいとおしそうに愛情込めて歌い,好感がもてる。

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