昭和という時代の代名詞「キックの鬼/沢村忠」無敵だった真空飛びひざ蹴り

小学生の頃、キックボクシングの沢村忠はヒーローだった。

リングに上がれば必殺の『真空飛びひざ蹴り』でKOの山を築いた。

戦績は実に232勝(228KO)5敗4分け。連続KO勝利は100試合超。その半生はテレビアニメ『キックの鬼』にもなった。

「仮面ライダーと戦ったらどっちが強いのか」などと当時の子供達は真剣に考えていた。それほど強かった。

彼の人間としての強さを実感したのはリングを去った後。

1977年10月の引退後、格闘技界ときっぱりと関係を断った。

過去の栄光も名声もすべて胸にしまい込み、かねて興味を持っていた自動車整備士を目指して整備工場で3年間修業を積み、資格を取得して独立。

その後は白羽秀樹の本名で都内で自動車整備工場を営んでいた。

スター選手が表舞台から突然姿を消したことで、さまざまな臆測報道が流れた。

最も多かったのが現役時代のダメージで普通の社会生活を送れなくなった。そのほかヤクザの用心棒、死亡説まで流れた。

それでも沢村さんは沈黙を続けた。「沢村さんですか?」と問われると「よく似ていると言われるんですよ」と答えていたと言う。

一時代を築いた国民的ヒーロー。ジム経営やタレント活動など人気と実績を生かした日の当たる道もあった筈・・・。目黒ジムの後輩で元WKBA世界ウエルター級王者の伊原信一氏は「彼はとにかくモテた。女性が列をなして群がった」と振り返る。

しかし、沢村さんは第2の人生でその名声や威光を使うことは一切なかった。

なぜ彼がリングの上であれほど強かったのか、分かるような気がした。

決して妥協しない鋼の意志を持っていたのだろう。

沢村さんは2021年3月26日、肺がんのため78歳で亡くなった。

久しぶりに「沢村忠」の名前を聞いて、彼の勇姿とともに、昭和40年代の記憶が次々と蘇った。

沢村忠というリングネームは、まさしく昭和という時代の代名詞だった。

また、昭和という時代が遠くなった・・・

写真は、昭和45年頃の角面子シート16面、未裁断、未使用、デットストック美品。

玩具店の長期在庫を発掘しました。
みなしごハッチ、赤き血のイレブン、キックの鬼、男一匹ガキ大将などの絵が描かれている事から昭和45年頃(1970年頃)です。
裏面には、クイズが載っています。
サイズ30.5cm×18.2cm。販売可(売り切れ御免)

同じく昭和45年頃のキックの鬼のメモ帳・ショウワノート製(未使用・美品)です。

サイズ12.8cm×9cm。販売可(売り切れ御免)

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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