明日の希望につながる予感「下山の思想」実り多き人生にする為に一読の価値

今朝NHKテレビ「おはよう日本」のコーナーで作家の五木寛之さんが著作「下山の思想」について語っておられました。

日本の成長を登山にたとえ、下山することの大切さを説いた本「下山の思想」は発売早々売上ランキング1位になり話題に・・・
永遠に続く登山というものはなく、私たちの時代はすでに下山に差し掛かっているという。
この下山こそが登山の最も大事な局面であると・・・
下山という言葉はマイナスイメージがあるが、下山の途中に発見する事も沢山あるという。
下山こそ実は本当のハーベストタイム、収穫の季節だという。
これから先の日本は、ある意味楽しみだと。
下山は新たな山頂に登る前のプロセスでもあるという。

さらに下山の時期は人の一生にも訪れるという。
40歳を境目に肉体的、体力的にどんどん落ちていくと。
下山は最短処理をまっすぐに降りていけばいいのものじゃない。
人生の下山は回り道をしながら安全に優雅に生きていくことが大切だと。

登頂したあとは、麓を目指して下山する。
永遠に続く登山というものはない。
この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面である。
無事に下山してこそ、その登山は成功と言える。
これまで登山のオマケのように考えられていた下山のプロセスを、むしろ山に登る事のクライマックスとして見直してみたい。

その過程は、人間の一生に似てはいないか。

昨年、突然の引退発表をした島田紳助氏も自身の番組「人生が変わる1分間の深イイ話」の中で人生の中で最も大切な事は頂上を極めた後に、いかに上手く「下山」するか、つまり引き際が重要だ・・・というような趣旨の事を言っていました。

その放送から、僅か数日後の突然の引退・・・図らずも彼自身が「下山」の途中で絶壁から真っ逆さまに転げ落ちる事になるとは・・・

戦後、私たちは敗戦の焼け跡の中から、営々と頂上を目指して登り続けた。
そして見事に登頂を果たした。

いま、私たちは未曾有の大災害に見舞われ、呆然として成す術がない有様だ。
福島原発が直面する現実は、数年で解決されるような問題ではない。
しかし私たちは二度の核爆弾の被災の中からも逞しく立ち上がってきた民族である。
どんなに深い絶望からも、人は立ち上らざるを得ない。

しかし、再び世界の経済大国という頂上を目指すのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか?

下山の時代、ということは、言いかええれば「成熟期」ということではあるまいか。
沈む夕日の中に、何か大きなもの、明日の希望につながる予感が見える。
それは意識的に「下山」をめざす立場と似ている。
その目指す方向には、これまでと違う新しい希望がある・・・それは何か?

決して経済力ではあるまい。
軍事力でもないだろう。
我が国が中国にGDP(国内総生産)で抜かれるまで、米国に次ぐ世界第二位の経済大国であった事は実に凄いことだった。
しかしそこには相当な無理があった。
その証拠に年間3万人以上の自殺が十数年も続いている事が物語っている。

先日、国王が来日して記憶にも新しいブータンはGDP(国内総生産)ではなくGNH (国民総幸福量) を提唱している。

私達も、新しい社会を目指さなければならない。
経済指数とは別の物差しを捜す必要があるだろう。

時代はまさに「下山のとき」である。
登山といえば山に登ることだけを考え勝ちである。
しかし下山に失敗すれば、登山は成功とはいえない。
急坂を登り、重い荷物を背負って頂上を目指すとき、人は周囲を見回す余裕はない。
必死で山頂をめざすことに没頭しているからだ。
しかし下山の過程では、どこか心に余裕が生まれる。
遠くを見れば、海が見えたり町が見えたりもする。

私たちの時代は、すでに下山に差し掛かっている。
実りある下山の時代を、見事に終えてこそ新しい登山へのチャレンジもあるのだ。
少子化は今後も更に進むだろう。
輸出型の経済も変わっていくだろう。
もう強国、大国を目指す必要もなくなっていくだろう。
ちゃんと下山する覚悟の中から、新しい展望が開けるのではないか。
下山にため息をつくことはないのだ。

我々の「人生」も登山に例えて実り多き「人生」にする為に一読の価値がありそうです。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

**************************

下山の思想 (幻冬舎新書) 五木 寛之 (著)

ヨーロッパが、アメリカが崩れてゆく世界の崩壊を知らないフリをして暮らす貴方へどう、生きるか。

どんなに深い絶望からも人は起ちあがらざるを得ない。
すでに半世紀も前に、海も空も大地も農薬と核に汚染され、それでも草木は根づき私たちは生きてきた。
しかし、と著者はここで問う。
再生の目標はどこにあるのか。
再び世界の経済大国をめざす道はない。
敗戦から見事に登頂を果たした今こそ、実り多き「下山」を思い描くべきではないか、と。
「下山」とは諦めの行動でなく新たな山頂に登る前のプロセスだ、という鮮烈な世界観が展望なき現在に光を当てる。
成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的思想。

「下」の付く言葉からは、マイナスのイメージが浮かぶ。
しかしいま、戦後登頂を目指し登り続けて来た時代から、「下山」の時代へと移行し始めている。
「下山」しながら初めて見えてくるものがある。
3・11後の日本が目指すべき新たな山頂とはどこか?
私たち人間の、そしてこの国の行く末を考えさせられる1冊である。
日本史上著名な仏教思想の先達である法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)、道元(どうげん)など、すべての人々は山を下りた。
実り多い豊かな下山をするためにはどうしたらいいのか、そのヒントがありそうです。

「下山の思想」は下記の関連サイトから購入できます。
↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/poppy1386/63099254.html

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink.

Comments are closed.