一世を風靡した「マジソンバッグ」をデザインした服飾デザイナーの長井恒高氏死去

昭和40~50年代に全国の中高生を中心に一世を風靡したスポーツバッグ「マジソンバッグ」をデザインした長井恒高氏(ながい・つねたか=服飾デザイナー)が12月14日、急性虚血性心疾患のため死去されました。87歳。

マジソンスクエアーガーデンバッグ・・・私の世代は、まさにドンピシャで当時は皆が持っていました。

エース株式会社が、1968年~1978年にかけて、製造・販売していたビニール製バッグ。
表面にMADISON SQUARE GARDEN / SPORTSMAN CLUB / boxing wrestling footballの文字と星条旗またはワシのマークが入れられ、学生用バッグとして人気があった。
一部の中学校では“スポーツバッグ”の呼称でも呼ばれていた。
このマジソンバッグは、日本のカバン史の金字塔とまで言われ2000万個製造のベストセラーで、当時の日本の人口が1億だとしたら、単純に5人に1人は持っていた計算だから物凄いブームだった事が伺い知れます。
老若男女で5人に1人という事は、若者に限って言えば、絶頂期ほぼ全員が持ってるという位凄かった!

実は本物であるエースのオリジナルが1000万個、残り1000万個は類似品・模造品だったらしい。
エース株式会社は、本品の意匠登録をしていなかった模様で、廉価版の模造品が続出した。
この意匠は、エース株式会社のオリジナルであり、本家マディソン・スクエア・ガーデンでは売っていない。
「マジソン・スクウエアー・ガーデン スポーツマン・クラブ」本当はそんなクラブは存在しないんだと知ったのは随分、後になってからでした。
でも、とってもアメリカンな感じのデザインがカッコよかった!
当時を知る人は懐かしいでしょ?

カバン生産日本一の街・兵庫県の豊岡市で作っていて、私の知人が数年前に当時の在庫品を大量に発掘して転売して一儲けしていました(笑)
物持ちのよい私は、当時のマジソンバッグを捨てずに実家で眠らせています。

マディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden, 略称MSG, Garden)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市の8番街と33丁目にあるスポーツアリーナおよび、エンターテイメント会場。
日本国内では“マジソン・スクエア・ガーデン”と表記される。
2万人収容のスポーツアリーナと、5千人収容のシアターなどで構成されている。

“世界で最も有名なアリーナ”などと言われている。
過去に4回の移設があり、一番はじめにあった場所が、実際にマディソンスクエアという名前だった。
現在の建物は1968年に完成した。

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過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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