合掌「ヤン坊マー坊」生みの親の中邨靖夫さんが死去

天気予報番組のアニメキャラクター「ヤン坊マー坊」の生みの親として知られるアニメーター、中邨靖夫(なかむら・やすお)さんが11月25日、78歳で亡くなられました。

ヤンマーディーゼル(現ヤンマー)が平成26年まで提供していた天気予報番組「ヤン坊マー坊天気予報」のアニメを昭和34年の放送開始時から手掛けられました。

テレビの天気予報に登場する双子のキャラ「ヤン坊マー坊」が、放映されて半世紀。
これまで放送された208作品は、大阪在住のアニメーターが一人で手描きで描き続けてきた。

中邨靖夫さんは大阪で8人きょうだいの末っ子として生まれた。姉におぶわれ、空襲の炎の中を逃げた記憶が残る。絵を描くのは大好きだった。中学時代、たびたび地元の新聞に風刺画を投稿。掲載料の1千円は映画のチケットや絵本代に消えた。
中学卒業後、デザイン会社を経て、アニメの原画を描くアニメーターになった。
「元気でかわいい双子のキャラクターを」
天気予報用のアニメ制作は、初めて回ってきた大きな仕事だった。  
皇太子さま(当時)のご成婚がテレビ中継された1959(昭和34)年6月1日の気象記念日に、それは初めて放映された。
 ぼくのなまえはヤン坊
 ぼくのなまえはマー坊
 ふたりあわせてヤンマーだ
 君とボクとでヤンマーだ
本好きで慎重なヤン坊と、好奇心旺盛でおっちょこちょいのマー坊が、歌にのって画面で踊った。街の食堂や銭湯のテレビで大勢の人たちが見る。うれしかった。
それ以降、年4本のペースで新作を出してきた。やんちゃでけんかや失敗もするけれど、素直に「ごめんなさい」と言える。そんな子ども本来の姿を2人に投影させた。
例えば最近では、2人がボールで近所のガラスを割ってしまい、勇気を出して謝りに行くストーリー。つらい状況でも、正しいことは貫いてほしい。複雑な現代を生きる子どもたちの背中を、そっと押すような気持ちで作った。
これまでに208作品。1作30秒ほど、1500枚前後の原画は、アシスタントに頼らずひとりで描き上げた。

ヤンマーお天気予報で御馴染み「ヤン坊マー坊」の古い貯金箱2体セット◆昭和40年代(1960年代後半)頃の人形★かわいい~◎

昭和30年代の誕生から時代により、数々の種類が作られていますが、出品の品は昭和40年代(1960年代後半)の頃と思います。

歴代の数あるヤン坊マー坊の貯金箱フィギュアの中で、個人的には一番かわいいデザインだと思います。
ペコちゃんにも負けない位、可愛いと思います。

割れ、褪色、凹み、落書きなく年代の割には綺麗な状態だと思います。
本体の高さは約16センチです。
2体セットペアで13000円で販売可。

「ヤン坊マー坊天気予報」の放映開始は昭和34年からです。
当時はアニメーションがほとんどない時代で珍しく始まった途端に大人気だったそうです。
ヤン坊がお兄ちゃんでマー坊が弟ちゃんです。
ヤン坊は慎重タイプ。マー坊はおっちょこちょいタイプ。
ヤン坊の趣味は読書、スポーツ。
マー坊の趣味はTVゲーム、ラジコン。
時代によってデザインが少しずつ変わっています。

ヤン坊・マー坊のキャラクターデザインは誕生当初から現在まで一貫してアニメーターの中邨靖夫氏が担当しており、基本形は維持されつつも時代の変化による変遷が見られる。

ごく初期には2人ともスマート(細身)に描かれていたが、1960年代後半以降今日に至るまで2人とも2頭身にデフォルメされた姿で描かれており、それに合わせて2人の目がそれぞれ大きくなっている。
表情についても、例えば1980年代以降は黒目のほかに白目が入ったりするなどの変化がある。
また長年、ヤン坊は半ズボンを着用していたが、1999年以降より半ズボンの着用が一般的でなくなったためか両者とも普通の長ズボンを着用するようになった。
なお、髪型の違いが両者を見分けるポイントだが、多くの場合、衣服などに大きく「Y」「M」と書かれていて判り易くなっている。
そして2009年6月以降よりヤン坊とマー坊がそれぞれ着用しているTシャツの色までも区別されるようになり、より一層判り易いものとなった。

歴代のヤン坊マー坊コレクションです。

https://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/16014562.html

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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