日本SF界の重鎮・小松左京さん死去・・・実はデビューは「漫画家モリ・ミノル」だった

日本SF界の重鎮・小松左京さんが2011年7月26日、大阪府箕面市の病院にて肺炎の為に死去されました。80歳没。

「日本沈没」など壮大なスケールのSF小説で知られ、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のプロデューサーなども務めた作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名実=みのる)さんが、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。大阪市出身。

京大文学部卒。経済誌記者や漫才台本作家などを経て、62年、「SFマガジン」に「易仙逃里記」が掲載されデビューした。
9年がかりで執筆した近未来SF「日本沈没」を73年に発表。
地殻変動で危機に直面する日本の運命をリアルに描き、日本推理作家協会賞や星雲賞を受賞。
上下巻合計で400万部を超える大ベストセラーに。
同作は映画化、テレビドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。
2006年には33年ぶりに映画のリメーク版が公開された他、作家谷甲州氏との共著で「第二部」を発表し、健在ぶりを示した。
他に、自ら映画版の脚本、製作、総監督を手掛けた長編「さよならジュピター」(星雲賞)や、「果しなき流れの果に」「地には平和を」「日本アパッチ族」「復活の日」「首都消失」(日本SF大賞)など。
プロデューサーとしての手腕も発揮。
大阪万博や85年の国際科学技術博覧会(つくば博)、90年の「国際花と緑の博覧会」などに関わった。

事務所によると、亡くなる直前、東日本大震災に関連して「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。
日本と日本人を信じている」とのメッセージを残したという。

小松 左京(1931年1月28日~2011年7月26日)は、日本の小説家。本名、小松 実(こまつ みのる)。

星新一・筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれ日本SF界を代表するSF作家。
1970年の大阪万博でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
宇宙開発の振興を目的とした啓蒙活動にも力を入れ、宇宙作家クラブの提唱者で顧問を勤めるなど、執筆以外の活動を幅広いジャンルに対して行っていた。

実は、小松さんのデビューが小説家としてではなく、「漫画家モリ・ミノル」だった事をご存じでしょうか?
「もりみのる」「小松みのる」「モリミノル」名義で『おてんばテコちゃん』、『イワンの馬鹿』、『大地底海』等の漫画作品を雑誌『漫画王』等に発表しており、既にデビューしていた手塚治虫の影響が窺える。
しかし、手塚治虫さんの作品を見て、あまりの絵のうまさに“こりゃ、かなわん”と、漫画を描くのを辞め小説へ転向。

モリミノル(小松左京)漫画全集-2
( モリミノル(小松左京)漫画全集-2 )

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過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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モリミノル(小松左京)漫画全集-1
( モリミノル(小松左京)漫画全集-1 )

小松左京が学生時代にモリ・ミノル名義でマンガを描いていた事は、あちこちで語られてきたが、まさか今日それを読むことが出来る様になるとは思わなかった。
これらの作品中に見て取れる四次元や地質学への関心、地球の誕生から生命誕生、人類の出現までをパノラマ的に鳥瞰する感覚などに、のちの小説作品の原点を見る事が出来る。

最後の第4巻には、松本零士、さいとう・たかをらとの対談、インタビュー、解説記事などが収められている。小松ファンだけでなく、戦後漫画史に興味のある方にもお薦め。

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