1971年に清水の舞台から飛び降りて買った「戦艦大和」のプラモデルは未完成

今年、日本は戦後70年を迎える。
「70年」とは途方もない歳月だ・・・人間ひとりの一生にも相当する長さである。

太平洋戦争は日本だけでも300万人以上の死者を出した日本史上最悪の出来事だった。

しかし、あれから70年が経ち、戦争経験者は減少の一途を辿っている。
戦後生まれの人口は1億人を超え、人口の約8割を占めるまでになった。「70年前」は確実に遠い時代になりつつある・・・

旧日本海軍 1/300日本模型(ニチモ)戦艦大和の模型・プラモデル半完成品。
昭和12年12月に建造が始まった大和は、太平洋戦争開戦直後の同16年12月16日に完成し、翌17年2月から連合艦隊旗艦に就任した。
続く6月、ミッドウェイ海戦に主力打撃部隊として参加した大和は、空母機動部隊のはるか後方に位置していたため交戦の機会なく出撃は無為に終わった。
それ以降、連合艦隊は大和を艦隊決戦の切り札として温存し、初の実戦参加は敗戦も色濃くなった昭和19年6月のマリアナ沖海戦であった。
姉妹艦船・武蔵とともにレイテ沖海戦に出撃した大和は、偶然に会敵した米護送空母郡に自慢の46cm砲弾を見舞ったが、命中弾を得ることはできなかった。
敵艦に向かって46cm主砲が咆哮したのは、これが最初で最後の機会であった。
内地に帰還した大和は、昭和20年4月「一億総特攻の先駆け」として、護衛艦・護衛戦闘機が皆無に等しい丸裸の状態での沖縄へ出撃途上で、米艦載機の猛攻を受け九州の岬沖に沈んだ。

たしか1971年に購入した「戦艦大和」のプラモデルです。
1969年頃の発売と推測されます。
捷一号作戦時と天一号作戦時のコンパチブルとなっています。

当時の値札「3400円」のシールが貼ったままですが、この値札は値引き後で、元々の定価は資料によりますと4500円でした。
今、思っても凄く高額品で、当時の私にとっては清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入しました。

しかし60%位まで組み上げた所で中断したまま・・・今日に至ります。
引き継いで完成させたい方は居ませんか?

当時のオリジナルの箱に入っています。
大きな痛みはありませんが箱正面に薄っすら染みがあります。
パーツはランナーから切り離した部品も、ランナーにまだ付いたままの部品もあります。
2個1セットの台座は、金メッキ部が経年により一部、変色しています。
ざっとチェックしましたが小さいパーツも多く隅々までは確認しておりませんので欠品、破損等あるかも知れません。

絶版品で1/300の大和は、船体の金型が破損したらしいので、もう再販は出来ないだろうと言われてます。

別売りだったマブチモーターも組み込んであります。
4軸のモーター動力走行が可能であると同時に、モーター動力で主砲塔3基を左右に動かすことが出来ます。
パーツは接着済や仮組で上に乗せただけの未接着の部品もあります。
本体の全長は87.5センチ。
大型で十分に見応えのあるキットです。
箱のサイズは横幅90センチ×高さ30センチ×奥行き7センチ。
※素人採寸ですので多少の誤差はご了承下さい。

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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