これは珍品!戦前の福助足袋の紙製お面と琺瑯看板風チラシ

戦前の福助足袋の紙製お面とホーロー看板風チラシは珍品です!

廃業された呉服店の蔵に残っていた物です。

お面は約18.5㎝×約18㎝のサイズで耳に掛けるオリジナルの紐も残っています。

赤い丸型のチラシの方は直径で約14㎝です。
右から左に向かって逆読みで「名實共ニ日本一 福助足袋」と書かれています。
経年のシミが少々ありますが、破れ、折れ、虫食い、褪色なくよく80年以上の品が、これだけ綺麗な状態で残っていたものです。
価格応談にて販売可。

福助人形のまさにスタンダードとも言える絵柄のマークで有名な福助足袋の看板キャラクター。

福助株式会社は、東京都渋谷区に本社を置く足袋・靴下・ストッキング・下着などの製造販売をおこなう企業で大阪・堺で創業した足袋の老舗であったが、2003年以降は経営基盤を東京に移している。

創業者の辻本福松が、1882年に大阪・堺で足袋の製造販売をおこなう「丸福」を創業させる。
しかし丸に福を入れただけの商標は、すでに他の業者が商標として登録していたこともあり、伊勢詣での際に福助人形を見つけた事から、これを元に挿絵化、1900年に「福助印堺足袋」として商標登録を行う。
またその間の1895年には足袋用のミシンを開発し、足袋の大量生産化を成功させる。

創業者・辻本福松の死後、後を継いだ辻本豊三郎は、販路を拡大すべく東京へ向かうが、当時東京では「足袋は手縫い」が常識となっていたため、販路の拡大に苦戦するも、徹底した売り込みを続けると共に、新聞への広告掲載や、看板・ポスターなどの設置に心血を注ぎ、やがて福助の名は全国に広がってゆく。
パブリシティによって福助の知名度が上がることを知った辻本豊三郎は、1923年に博多、1928年には大阪・道頓堀、東京・浅草に巨大広告塔を設置。
これを発端として、戦後サトウハチロー、三木鶏郎の手によるテレビやラジオでのCMソングなどによる宣伝につながってゆく。

1930年代から靴下、下着、服飾衣料に進出を開始。
また1950年代にはズック靴なども生産していた事もある。
しかし足袋・靴下以外では、他の部門の業績に目立った伸びは見られず、1980年代には森英恵、三宅一生などのデザイナーズブランドを積極的に取り入れたが、言うほどの改善は見られなかった事もあり、次第に経営は傾斜化してゆく。

http://www.fukuske.com/museum/logo/(福助ロゴマークの遍歴)

http://www.fukuske.com/museum/promotion/index.html(福助懐かしの広告)

1980年代のマンザイブーム時、コント赤信号の「福助の足袋!」というギャグが懐かしいですね。
縁起物の人形「福助」を一堂に集めた「福助コレクション展」が、滋賀県長浜市元浜町の「まちづくり役場」で開かれています。
入場無料、7月12日まで。

福助人形の起源としては、江戸時代に中山道柏原宿(今の同県米原市)にあった商店の勤勉な番頭を模して作られたとの説がある。
会場では長浜市内の人形コレクターが集めた福助人形120点を紹介。

裃(かみしも)を着た姿で膝に両手をついて客を迎える標準的なデザインの人形をはじめ、手招きをするタイプ「左うちわ」で裕福な様子をみせるものなど、多彩なデザインの福助が並ぶ。
大きさも、高さ30センチから3センチのものまでさまざま。
主催するNPO法人まちづくり役場は「福助が大勢の来客を招き、商店街の活性化に貢献してほしい」と話している。
問い合わせは同法人(電)0749・65・3339

写真をクリックすると大きく見れます。
過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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進化する老舗「福助」再生物語

2003年民事再生法適用を申請した「福助」
経営会議にも同席し、外からは伺い知れない会社再建の舞台裏をリポートする。
会社再建を縦糸に、藤巻社長の強烈なキャラクターを横糸に編んだドキュメンタリー。

『進化する老舗「福助」再生物語』は下記の関連サイトから購入できます。
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http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/12968644.html

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