今年は100周年・・・今こそ「目のつけどころがシャープでしょ」“虎の子”といわれる液晶技術 IGZO(イグゾー)

今年、大阪では100周年を迎えたところが多い。
シンボルの通天閣にお笑いの吉本興業、遊園地のひらかたパークなどである。
だが、シャープは祝賀ムードから遠かった。

記念式典はなく、創業記念日が土曜日だったため、前日に奥田隆司社長が社員に「難局を全社一丸となって乗り越え、新しいシャープとして生まれ変わる」と訓示しただけだった。

http://www.sharp.co.jp/100th/hayakawa/

家電ご三家と呼ばれるパナソニック、ソニー、シャープはいずれも経営が苦しいが、とりわけシャープは危機に陥っている。
液晶テレビが絶好調で、「選択と集中」のお手本ともてはやされた数年前には、こんな形でメモリアル・イヤーを迎えるとは想像もしなかっただろう。

「目のつけどころがシャープでしょ」というCMがあったが、シャープは創意、独創の会社である。
それは創業者の早川徳次(1893~1980年)の遺伝子といえる。

東京の下町で生まれた早川は幼くして養子に出され、丁稚奉公で金物職人としての腕を身につけた。
発明の才があり、ベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」を開発して、本所に資本金50円で会社を興したのは大正元(1912)年9月15日、18歳の時だった。

まだ着物姿が多く、男性の洋服は珍しい時代だったが、これが当たった。
次に発明したのが社名の由来にもなったシャープペンシルである。
これも和装には合わないと文具業界からは相手にされなかったが、輸出した欧米で大ヒットした。
ただの発明家ではなく、時代を先取りする経営の才にも長けていた。

順調に業績を伸ばし、3人でスタートした会社が従業員200人を超えるまでに大きくなった大正12(1923)年9月1日、関東大震災が襲う。
地震と本所一帯の大火で工場は灰燼に帰し、早川自身も負傷、妻と2人の子供を亡くした。

震災では文豪・谷崎潤一郎ら関西に移住する人が少なくなかった。
早川も大阪に新天地を求めた。

再スタートを切ってまもなく、心斎橋を歩いていて出合ったのが、米国から輸入されたばかりの鉱石ラジオである。
日本でも翌大正14年にラジオ放送が始まることになっていた。
これからはラジオの時代が来る、と直感して買い求め、分解、組み立てを繰り返しながらの研究の末に国産第1号のラジオを商品化した。

以下、テレビ、電子レンジ、電卓、太陽電池などシャープが世に送り出した「日本初」「業界初」は数多い。

早川がユニークなのは「人にまねされる商品をつくれ」を経営哲学にしていたことだ。
普通はまねのできない商品開発を目指すものだが、それでは市場は広がらない。
まねをされるものこそ、消費者が求めるものである。
そして次なる創意工夫で新たな市場を開く。
それは徳尾錠からシャープペンシル、ラジオ…液晶テレビへと至るシャープの歴史が証明している。

時代は変わった。

今、日本のものづくり産業は荒波にさらされている。
低価格で攻勢を強める韓国、中国、台湾などのメーカーとの競争は、技術だけでは太刀打ちできない。

しかし、日本が武器にすべきはやはり技術力しかない。
それも「まねのできない商品をつくる」ことで・・・
早川が存命なら信念を変えたかもしれない。

2007年4月には2445円を付けた株価も、昨年大納会の終値は673円だったが、あれよあれよと下がり続け10月12日には142円まで下げましたが昨日終値は269円と少し戻しています。
米国企業からの出資や日本の取引銀行からの融資計画が徐々に合意。
これを評価する投資家が増えている。

経営再建中のシャープにとって“虎の子”といわれる液晶技術「IGZO(イグゾー)」で起死回生し復活してほしいものです。

関西電力は来年4月に家庭向け電気料金について平均11.88%、企業向けで平均19.23%の値上げを予定していますが今後も原発が稼動しなけば電気料金は値上げ幅が2倍になるかも知れないと言う。
もしも、大幅値上げが実施されれば企業の工場は大量に海外移転が進み産業の空洞化が今以上に進み、第2、第3のシャープが続出するでしょう!?
下請け、孫請けを含めれば何百万人と言う失業者が出て日本経済は壊滅する!?

明日の選挙の結果次第では・・・・怖いです。

写真はシャープの前身『早川金属工業製のラヂオ』です。

前面には『SHARP』のロゴも付いていますが裏面には『早川金属工業』のラベルが付いています。

ラジオが一家団欒の中心だった昭和10年代~昭和20年代に作られた品でしょうか?
テレビが登場する前の日本中が貧乏だったが活気に満ち溢れ楽しかった時代の息使いまで聞こえてきそうで真空管の暖かい音が懐かしいですね。

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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シャープを創った男 早川徳次伝

1893年、東京・日本橋で生まれた早川徳次は21歳でシャープ・ペンシルを開発し、順調に事業を拡大したが、関東大震災ですべてを失う。心機一転、大阪に居を移し、国産ラジオ第一号の組み立て、国産テレビ第一号のテレビの開発で「東のソニー」に並ぶ「西のシャープ」を育て上げる。液晶で世界をリードするシャープ創業者の波乱万丈の伝記。
失っても失っても再起した泣かせるビジネス偉人伝。シャープペンシルから液晶へと飛躍した企業の遺伝子とは。
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http://blogs.yahoo.co.jp/coast1386/8086925.html

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