1960年代後半頃のグループ・サウンズ(GS)ブームは凄かった!OXのブロマイド

グループ・サウンズ(またはグループ・サウンド、和製英語: group sounds)とは、エレクトリック・ギターやエレキ・ベースなどの電気楽器を中心に数人で編成される、演奏および歌唱を行うグループ。

ベンチャーズやビートルズ、ローリング・ストーンズなどの影響を受け、1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)にかけて大流行した。略称GS。

1966年(昭和41年)のビートルズ来日公演以降、エレキギター等の楽器を自ら演奏しながら歌うグループが日本で次々とデビューするようになる。このことを受け、若者向け芸能雑誌「週刊明星」がこれらのグループや音楽を総括して「グループ・サウンズ」または「グループ・サウンド」と呼び始めたことをきっかけに広まった呼称で、起源にはいくつかの説がある。

1960年代当時の日本は、父権が強い封建的な面を持った社会であり、長髪やエレキギターといった要素は不良、若者の非行に結びつけられ、一般社会からの風当たりは非常に強かった。その為、グループ・サウンズのコンサートを観に行った高校生には停学もしくは退学処分を下される学校もあった。また、コンサートに行くこと自体を禁止する中学校・高校が続出した。

オックスがステージ上で行った失神パフォーマンスにより実際に失神する少女達が続出し、これを契機にPTAや教育関係者の反感を買うこととなった。そして事故防止のためグループ・サウンズのバンドにはコンサート会場を提供しないという劇場や自治体があらわれた。

1968年夏頃にはGSブームはピークを迎え、100を超えるグループがレコードデビューを果たすも1969年春にはザ・タイガース、ザ・カーナビーツ、オックスなどの人気グループから主要メンバーが相次いで脱退し、1970年頃には完全にGSブームは終焉を迎え、1971年に入るとほとんどのグループが解散・自然消滅をした。

その後人気グループ・サウンズに於いてリード・ヴォーカルを務めていた人物の中からは、グループ解散後も歌手やミュージシャン、俳優、またタレントとして芸能界の第一線で活躍し続けている人物も多い。また他の楽器パートを務めていた人物にも、俳優、作曲家、スタジオミュージシャン、音楽プロデューサー、芸能事務所経営者等として、芸能界の重要人物へと納まっている者が多数存在する。

当時、少しませていた私はGSブームに夢中になりました。
今、聴いても本当に良い名曲が沢山ありますね。

写真はグループ・サウンズ(GS)全盛期の1968年(昭和43年)にデビューしたグループ「オックス(OX)」の1960年代当時のマルベル堂ブロマイドです。

22種類のポーズ(画像は21種類)があり60枚以上あったのですが、残っていた在庫52枚全て先日、お買い上げ頂きました。

今から35年程前にブロマイドの販売店が廃業される際に売れ残りをまとめて買い上げました。

殆どが1960年代後半~1970年代前半の頃の売れ残りデッドストック品で、1000枚近くはあったでしょうか?・・・入手後そのまま、仕舞っておりました。

「オックス(OX)」は、1968年5月5日、デビュー曲「ガール・フレンド」を発売。ステージ上の激しい動きから放心状態となり倒れ込む野口ヒデト、そして飛び乗っていたオルガンから転がり落ち気絶する赤松愛、そんな2人に触発されるかのように連鎖的に倒れていく残りのメンバー、というパフォーマンスを見せ、この前代未聞のステージにファンは熱狂、瞬く間にオックスの存在は女学生の間で大きな話題となる。「ステージ上で気分が高揚、陶酔のあまり恍惚状態で倒れ込んでしまう」という特異なパフォーマンスは「失神バンド」としてその名を轟かせる。

https://www.youtube.com/watch?v=p7cIGXXDZmo

オックスは、タイガース、テンプターズと共に、人気GSとして取り上げられるようになっていく。

あくまでもメンバーの「失神」は当初演技であったが、彼らが演奏する「テル・ミー」で本当に失神してしまうファンが現れ、これをきっかけに、11月10日の日比谷公会堂に於ける公演より同曲を自粛した。だが、この日ステージ第1部の最後に演奏した「オー・ビーバー」辺りから客席の様子が怪しくなり始めた。 その為、急遽第2部では趣向を変え歌謡曲も演奏したが、イントロで失神者は相次ぎ、熱狂するファンで場内が大混乱したことから公演は途中で打ち切られてしまう。公演会場に詰め掛けた女子学生約2000人中、興奮した約30人が矢継ぎ早に失神、15人が病院に担ぎ込まれる事態にまで発展する大騒ぎであった。

この結果、「オー・ビーバー」は自粛せざるを得なくなり、この一件から「オックス」の存在は失神GSとして名を馳せる一方、社会問題化することとなった。一部の学校ではオックスのショーを観に行くことを固く禁じ、また会場では教師が生徒の入場を厳しく取り締まる光景が見られるようになり、PTA、婦人団体の抗議活動もあって、地方自治体や劇場より会場の貸し渋りが増えていくこととなる。

1969年は3月にタイガースのギター担当である加橋かつみ、4月にカーナビーツのボーカルである臼井啓吉、そして5月にはオックスの赤松愛の脱退と、主要GSより脱退が相次いだ。テンプターズらと共に、GSブーム中期から後期にかけて人気を担っていたオックスだったが、時を同じくしてフォークが台頭し始め、1967年初夏より始まったGSブームは、3年目の夏を目前に終わろうとしていた。

「ダンシング・セブンティーン」「スワンの涙」「僕は燃えてる」などのヒット曲を飛ばし、甘くメルヘンチックなルックスと歌声が多くの少女ファンを夢中にさせ、1969年のブロマイド年間売上実績が第1位に輝いた。

ブロマイドの売り上げは人気のバロメーターでもありました。
大きさは縦約14センチ、横約9センチ。
1960年代当時の品です。
裏にマルベル堂の表示があります。
何分古い品ですが基本的には美品です。
当時、ファンだった方はたまらないでしょう?
青春メモリアル・プレイバック!!~
他にも1960年代後半~1970年代前半の有名、無名のアイドル、スター、女優、男優のブロマイド多数あります。
お捜しのアイドル、スターがあればお問い合わせ下さい。

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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