浅草を中心に活躍したコメディアン「デン助」は、一世を風靡した

関西在住の私には、あまりキョーレツな印象は無いのですが、関東方面では1939年 – 1976年の活動期間を中心に一世を風靡したコメディアン「デン助」

大宮 敏充(おおみや としみつ、本名:恒川 登志夫(つねかわ としお)、1913年4月13日 – 1976年12月23日)昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。

大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際のペンネームは言問 三平。
メリヤスシャツ、腹巻き、背広、ハゲ頭をユラユラしグルッとした大きな目玉、青い口ひげをはやし草履ばきが特徴なデン助に扮してタイムリーな話題にして風刺の効いたコントやショーを行い決まり文句でもある「オレにデンとまかせておけ」と共に大流行した。

大宮デン助は『浅草の喜劇役者』の一人で伝説の人だった。

萩本欽一は高校時代弟子になろうとしたがデン助に「高校を卒業しな」と諭され、高校卒業の日にデン助の元へ急ごうと胸を踊らせていたがたまたま会った東洋劇場の支配人にネガティブな事ばかり言われて気持ちが挫け断念した。もしそのまま行ってたら2代目を継いでコント55号は誕生してなかったかもしれないと回想している。

劇団解散後、晩年はテレビで俳優などをこなしていたが持病の糖尿病が悪化して1975年11月に入院し、1976年に脳卒中と肺炎のため63歳で死去。
デン助はアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に出演していました。
大宮デン助(大宮敏光)(1913~76年)はかつて亀有に住んでいたそうです。
こち亀の作者の秋本先生が中学生の頃、アルバイトの新聞配達で、デン助の家に配達してたというエピソードがあります。その為、こち亀のキャラクターとしても何回か登場しています。
特に人形(実在したデン助人形)は何度も出ています。

小学校時代の両さんも、あこがれのデンスケ劇団に入団するためのテストを受けたエピソードもあります!

写真は激レアな昭和33年9月20日発行のトモブック社初版本

漫画本「デン助の長屋も天国」第4集です。
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1979年に日本一周していた時に、青森県の弘前市で発掘しました。

本来は玩具店だったのですが、卸問屋も兼ねていて何故かコミック漫画本も取り扱っていたので、入手したのですが、今の今まで読みもせずに片付けたまま倉庫の片隅で眠らせていました。

何分古い本ですので経年による自然な汚れは多少ありますが、長期在庫品だったので折れ・破れなどの大きな痛みはありません。価格応談にて販売可能です。

2021.04.25(日)オークションサイトで同シリーズのコミック「ガード下の天使」の巻が出品されていました。
オークションID:f505080291

スレ、少汚れ、ヤケ・シミ、周り・角端等イタミ・ハゲ、少劣化。背を中心に表・裏テープ補修跡、貼跡シミ、背は下4センチ欠、表紙外れ補。小口・本文少ヤケシミ、少破・キレ(少補)、少イタミのあるダメージ本が18005円で落札されていました。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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