最近では滅多に目にすることがない“ブックマッチ”製造終了

若い方は“ブックマッチ”をご存知だろうか?

箱入りの木軸ではなく、二つに折り畳んだ表紙に挟まれた紙製のマッチだ。最近では滅多に目にすることもない。

そんな中、国内で唯一、ブックマッチを生産していた会社が製造をやめるという。ネット上では残念という声が拡がっている。

ブックマッチは6月受注分を最後に製造終了してしまい日本からブックマッチ製造の灯が消えることになります・・・

1923(大正12)年にマッチ製造会社として創業した日東社は、来年100年を迎える。なぜブックマッチの製造をやめるのか、同社に聞いた。

喫茶店やスナックなどで、灰皿とともに差し出されるものだったからだ。 「広告宣伝用として、店名や電話番号などを表紙に印刷するのがブックマッチでした。お店で煙草も吸えなくなり、需要が減ったというのが製造中止に至った理由です」

神戸が一大生産地
作り手としては、製造中止をどう思っているのだろう。 「ブックマッチの製造機は結構大きいんです。製造数が落ちている中、機械のメンテナンスやコストを考えると、残念ですがやむを得ないと思います。製造機も50年近く働いてきましたから」 日東社は、通常の木軸のマッチでは国内最大手である。そちらのほうは今後も製造を続ける。 「幸い、製造をやめたところから機械部品を引き継いだりしているので、今後も続けていきます。通常のマッチも年々減っていますが……」  現在、国内のマッチ生産量は、最盛期の100分の1という。

ここからは一般社団法人日本燐寸工業会(兵庫県神戸市)に聞いた。 「軸木の先端の薬剤を摩擦で発火させるマッチが販売されたのは19世紀初めのイギリスでした。日本では、1875(明治8)年に東京で清水誠という人が製造したのが最初です」(日本燐寸工業会:以下同)  瞬く間に全国にマッチ製造が広まったという。 「それまで火打ち石で発火させるのが一般的だったのと比べ、マッチは圧倒的に便利だったからです。神戸では1877(明治10)年から製造が始まりました」  神戸はマッチ製造の一大拠点に成長していく。

「県内には50近くのマッチ会社があったそうです。当時、マッチの薬剤は天日で乾燥させていたため、晴天の多い瀬戸内が適していたこと、神戸港で力を持っていた華僑が中国やシンガポールなどに輸出したためと言われています」  最盛期の1907(明治40)年には、全国で114万マッチトン(1マッチトン=約35万本)が生産され、8割ほどが輸出されたという。明治から大正にかけて、日本はアメリカ、スウェーデンと並ぶ三大マッチ製造国と呼ばれた。

天敵現る
「戦後、神戸は重工業が発展したため、生産は姫路に移りました。現在、マッチを製造しているのは国内に3社ありますが、日東社を含む2社が姫路にあります」  戦後に広まったのが広告用マッチだった。 「旅館や企業、喫茶店も、宣伝のためにマッチ箱に社名などを印刷して配りました。アメリカ生まれのブックマッチの生産が国内で始まったのも1955(昭和30)年ですから、その流れでしょう」  銀行などでも、企業名が大きくプリントされた三角箱のマッチが配布されていた。1973(昭和48)年には戦後のピークを迎え、78万1677トンを生産した。 「当時は煙草はもちろん、ガスコンロやストーブの着火にもマッチが必需品でしたから、なくてはならないものでした」  状況が一変したのは1975(昭和50)年だ。使い捨てライターの発売である。 「そればかりでなく、コンロやストーブに自動着火装置がつけられるようになり、マッチの需要は急激に落ちていきました」  100円ライターの発売から50年近く経つ。考えてみれば、よくぞここまで耐えた。 「現在は仏壇などの神仏用やアロマなどに使用されることは多いです。線香やローソクに火をつける際には、使い捨てライターでは抵抗を覚える方もいらっしゃいます」  2011(平成23)年の東日本大震災後、非常用としてマッチを見直す声もあった。 「一時的には上向きましたが、年々出荷量は減り続けています」  現在の生産量は約8000トン。マッチの火をいつまで灯すことができるだろうか。

製造中止になり入手困難になるとコレクターズアイテムとなるのが世の常です。

1976年頃のケンタッキー・フライド・チキンのブックマッチ◆非売品☆KFC★★カーネルサンダース★当時物(未使用・美品)☆ノベルティグッズ

引っ越しで荷物整理していたら出てきました。
1970年代のケンタッキー・フライド・チキンの非売品のブックマッチ2個です。

左の甲子園口店は、1974年に入社して初めて配属された時のブックマッチです。

未使用・新品で汚れ、色褪せ、破れなく綺麗ですが、内側のマッチの赤い部分が当たる付近が経年により少し変色ありホッチキス止めが錆びています。

かなり古い物(左の甲子園口店は1974年、右は1976年頃?)になりますので今となってはかなりレアな商品だと思います。
1974年~1979年までケンタッキーの社員でした。

右が当時の私です。中央は当時の初代社長です。

たまたま未使用のまま長期保管しておりました。価格応談にて販売可能。

写真をクリックすると大きく見れます。

過去のブログ記事も加筆、訂正、写真追加している場合がありますので宜しければ時々、覗いてみて下さい。

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