2017.5.31
伝説の人、安達さんがフクヤとくし丸1号車を勇退されました。
徳島県でうまれた「とくし丸」が、県外に初めて飛び出したのが
京都府北部のスーパーフクヤさんでした。
フクヤさんが、やろう!と、思われたのですが、
実際にとくし丸に乗る人がいないと始まりません。
そこで、白羽の矢がたったのが、安達さんでした。
安達さんは、それまで別のスーパーの偉いさんをされていました。
お人柄やキャリアを買われてのスカウトだったのでしょう。
安達さんは、徳島にちょっと見学に…。と、誘われ
てっきり日帰りだと当日まで思っておられ、
日帰りの用意しかしていなかったのに
そのまま二泊三日の研修だったそうです。
これは、もう拉致ですね 笑
半分騙されたよう(笑)でも、最後はやる!と、決められたのですからすごいです。
今でこそ、随分認知されてきた「とくし丸」ですが、
安達さんが始められた時には、全く知られておらず、
すごい覚悟だったと思います。
そして、その時のお年が60を超えられていたのですから、なおさらすごい決心だったと思います。
安達さんが、頑張られたおかげで、2号車、3号車…と増え、
今の私があるのも安達さんの努力のおかげと心より感謝し、心より敬意を表したいと思います。
舞鶴と岩滝でなかなかお会いすることもなく、話をゆっくりさせていただくこともなかったのですが、
辞められた後、各号車に挨拶に来て頂き、少しお話させて頂く事が出来ました。
「なんで、急に辞められたんですか?」と、お聞きすると
「いやぁ、急でもなんでもない。ずっと決めとったんや。
これから、暑い夏が来る。もう、体力がもたんわ 笑」
確かに…。
安達さんより、少し若い私でもしっかり堪えます。
充分、歴史を作り、後輩に繋いで頂いたと思います。
本当にお疲れ様でした。
どうか、ゆっくりしてください。
そして、そっと、後輩たちを見守っていてくださいね。
安達さん、本当にありがとうございました!
ありがとうございました。
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